水引(みずひき)とは
日本人であれば生活のどこかで触れている水引。おめでたいことなどの祝儀の際や、不吉な出来事である不祝儀の際に、贈答品の包み紙などにかける紅白や黒白などの帯紐のことだ。他にも贈答品や封筒に飾り紐として付けることもあり、その形や色により様々な使い分けを行っている。
水引の歴史と、その意味
水引は、室町時代の頃にはすでに使われていたと言われている。当時の日明貿易において、明からの輸入品の箱全てに赤と白の縄が縛り付けられていた。この縄は明の方からしたら輸出用の品を他と区別するために使用していたに過ぎなかったが、日本側がこの縄を贈答に使用する習慣と誤解し、日本でも贈答品に赤と白の紐をかけるようになったという説がある。
他にも、航海の無事を祈ったり海賊から守るための魔除けとして縄に塗った黒色毒が解くと赤色に変色したという説などがある。
この水引には、品物は未開封であるという封印の意味や、魔除けの意味、人と人を結び付けるという意味合いがあり、水引結びは引けば引くほど強く結ばれるものが多い。
日本の贈答に欠かせない水引は、縁結びとしての要素が強い。一方、西洋ではラッピングやリボンのように解く事を前提とされている。そして、紐の部分だけではなく、品物を包む和紙の折型や水引の結び方、表書きの書き方などによって用途が使い分けされている。
加賀水引(かがみずひき)
今回紹介する加賀水引は、石川県金沢市(加賀)の希少伝統工芸である。現在は津田水引折型が伝承している。この加賀水引は、水引の3つの基本である「和紙で包む」「水引で結ぶ」差し上げる理由・気持ち・名前を「書く」の要素を、芸術の域にまで昇華させたものである。
通常の水引とどこが違うかというと、明治時代まで結納や金封にかけられる水引結びや折型はほとんどが平面的なものだった。それを立体的な和紙の包み方・折型(紙細工)、造形的な結び方(紐細工)、紙細工と紐細工に調和させた美しい筆字など、加賀百万石らしい美しく豪華絢爛な部分に特徴がある。
加賀水引の創設者、津田左右吉
明治後期から広まり始めたのが小笠原流(小笠原流礼法 https://ogasawararyu-reihou.com/)の水引折型だ。1915年頃、加賀水引の創始者である津田左右吉はそれを勉強し、結納業を始めた。 しかし、用途別に異なり、さらに複雑である折型をきっちりと端正に折り畳むのはかなり難しかったそうだ。少しでも折り目が崩れたり、歪んだりすればすぐに品のないものになってしまう。 水引折型は、その清しく端正な容姿にこそ価値がある。津田左右吉は、熱心に折型を研究し、繰り返すうちに一つのアイディアを思いついたそうだ。
平たく折り畳む事はせず、ふっくらとしたままで折り目をあえて付けず、それを胴のあたりでぐっと水引で引き結ぶ。そうすることで、技術的なアラが目立たず、ボリュームのある華やかなフォルムが出来上がると。
現在でも受け継がれている加賀百万石の雰囲気を漂わせた綺麗な結納品の水引折型は、こうした逆転の発想によって生まれ完成したものでだった。 なお、こうした立体的な折型には、必然的に立体的な水引の結びつまり水引細工の創始が伴う事となった。今日、全国的に見る水引折型は、津田左右吉が苦労して考え創案した影響が色濃いのである。
5代目 津田六佑氏
今回、加賀水引の創始者である津田左右吉から数えて5代目である津田六佑氏に話を聞くことができた。
六佑氏は1981年8月4日に津田家の長男として金沢で生まれた。学生時代は陸上の短距離選手として、石川県で有名な星稜高校に通学していた。大学卒業後は、Web関係の仕事に約10年間従事していた。なお、加賀水引を唯一継承している津田家に生まれたが、両親からは家業を継いで欲しいとは一度も言われたことがなかったそうだ。
その後、明確にこのタイミングで家業を継ごうと思ったというのは無かったそうだが、2015年に東京と金沢を繋ぐ北陸新幹線が開業することから、これからは金沢にも人が多く来るようになると考え、自然と家業を継いで水引を仕事にしよと思ったそうだ。
ちなみに、五代目で六佑という名前に関しては、本人も分かりにくいのではと笑いながら話してくれた。
水引で苦労していること
実際に家業を継いで仕事を始めた六佑氏。紐細工の工程は当初思っていたよりもできるようになってきたそうだ。だが「書く」部分に関しては、習得まで何十年もかかりそうだと吐露してくれた。実際にやってみて初めて分かったそうだが、性質・特徴を理解して書くというのがとても難しいとのこと。ここでいう性質・特徴というのは、お茶会での贈答品に書く文字のパターン、神社の祭礼で書くパターンなどである。
分かりやすく例を紹介すると、祖父が小学校に入学する孫に「御祝」という文字を書いて贈答品を送っても孫は文字も意味も理解することができない。それを「いちねんせい おめでとう」と書くと、すぐに孫は理解することができる。このように送る人と送られる人の双方の気持ちを理解してから文字を書かなくてはならない。その部分は常に学ばないといけないと話してくれた。
また「寿百体(ことぶきひゃくたい)」という言葉があるように「寿」という字には100通りのパターンがあると言われている。どのようなシーン、誰が誰に送る物なのかなどによって「寿」という字を使い分けていくそう。
今後の水引
現在、六佑氏がありがたいと思っている部分として、水引の紐細工がアクセサリーとして注目されている点だ。水引のアクセサリーをきっかけとして水引の存在を知ってくれている人もいる。実際に津田水引折型でも、紐細工のアクセサリーを販売し、日本人からも外国人観光客からも喜ばれている。
ただ、それが水引の全てではない。古来から日本人は言葉で相手に直接言わずに、封筒や外観や仕草で相手に感じ取ってもらうというコミュニケーションの方法を取ってきた。日本人は奥ゆかしさを良しとしてきて、それが水引が広まった理由でもある。
現代まで残っている加賀水引では、それを体感することができ、そして今でも加賀水引を使った贈答品が広く使われている。アクセサリーをきっかけにして、水引本来の素晴らしさや、水引を使った気持ちを伝えるコミュニケーションをしてみて欲しいと六佑氏は話してくれた。
そんな体験ができるように津田水引折型では、その場で名前を書いてくれるサービスなども行なっている。
これからも、日本の素晴らしい伝統文化が残るように、現在の需要と水引本来の魅力を掛け合わせ、世界中にこの風習を知ってもらいたい。
津田水引折型
〒921-8031 石川県金沢市野町1-1-36
Tel : 076-214-6363
営業時間:月曜~金曜(平日)10:00~18:00 土曜10:00~12:00
定休日:日曜・祭日
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