SHOKUNIN

石州半紙・石州和紙の紙漉き職人 西田誠吉氏の志

島根県/Shimane

石見地方と石州和紙

島根県の西部は石見地方と呼ばれており、この「石見」は昔の国名である石見国(いわみのくに)に由来している。石見の魅力のひとつとして、海・山・川の3つの自然がすべて満喫できるところが挙げられる。そんな自然の中で古くから作られてきたのが今回紹介する和紙。石見地方で作られている和紙は石州和紙として大自然の恩恵を受けながら繁栄してきた。 石州和紙の紙質は強靱でありながら肌触りは柔らかなのが特徴で、その紙質から障子紙として多く用いられていた。今では石見神楽の面、文化財修復用紙、書道、記録用紙など様々な用途に用いられるようになっている。

和紙の歴史と制作工程

和紙の起源は704年から715年頃に柿本人麻呂が石見国の民に紙漉きの技術を伝えたことが始まりだとされている。それから紙漉きの技術が石見国中に伝わり、927年に編纂された『延喜式』にも産紙国43カ国のうちの1つとして石見国が記載されている。 そして1969年に重要無形文化財、1989年に伝統的工芸品の指定を受けた。2009年にはユネスコ無形文化遺産に「石州半紙」として技術・技法が登録された。 では、古くから作られていた和紙は、どのような工程を経てできているのか詳しく説明する。(制作工程と説明文は西田和紙工房HPより引用)
  1. 原料である楮(こうぞ)の栽培 石州和紙の原料は、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)です。楮・三椏は地元で栽培されたものを使用し、雁皮は野生のものを使います。石州楮で作られた石州半紙はとても強靭な和紙です。
  2. 原木刈り取り 原木の刈り取りは12月から1月に行い、鎌で斜めに切っていきます。 西田和紙工房では、従業員全員で刈り取り作業を行う。全員で原料から仕込むことによって、原木の状態など細かい部分を把握することができ、実際に和紙を作る時にその経験が活かせるからだ。
  3. 原木裁断 刈り取った原木は、1mくらいに揃え「押し切り」で切ります。
  4. 原料蒸し 少人数でも作業しやすいように「せいろ蒸し」の方法で蒸気によって蒸します。木の芯と表皮が剥がれやすくなります。
  5. 木口叩き 根元を槌で叩き、原木と表皮を分離しやすくします。
  6. 原木剥ぎ 片方の手で原木、もう片方で表皮を持ち、足に挟んで先が筒状になる方法で剥ぎ取ります。
  7. 黒皮乾燥 剥いだ黒皮は束にして、自然の風に当てて乾燥します。十分に乾燥した後、貯蔵します。
  8. 黒皮そぞり 黒皮を半日ほど水につけ柔らかくした後、そぞり台の上にのせ、包丁によって一本一本丁寧に表皮を削ります。楮においては強靭さを出すために表皮と白皮の間のあま皮部分を残します。
  9. 水洗い そぞった白皮を清水の中でていねいにふるい、不純物を洗い流します。
  10. 煮熟 煮釜に水を入れ、水量に対し12%のソーダ灰を入れ、沸騰後原料をほぐしながら入れていきます。30分ごとに上下にむらができないようにひっくり返し、2時間ほど煮ます。そして蒸らします。
  11. 塵取り 煮終えた原料を清水の中で一本一本付着している塵などをていねいに取り除いていきます。楮の場合は灰汁抜きをしながらこの作業を行います。
  12. 叩解 硬い木盤の上に原料を乗せ、樫の棒で入念に叩き繊維を砕きます。石州では「六通六返し」の方法で左右六往復し、上下六回返します。
  13. 抄造 漉き舟に水と紙料・トロロアオイを入れ、まぜ棒によって均等に分散させます。石州和紙は数子(かずし)・調子(ちょうし)・捨水(すてみず)の3段階の工程が基本になります。
  14. 数子 素早く漉き舟の紙料をすくい上げ、簀全体に和紙の表面を形づけます。
  15. 調子 紙料を比較的深くすくい上げ、前後に調子をとりながら、繊維を絡み合わせ和紙の層をつくります。回数によって厚さが異なります。
  16. 捨水 目的の厚さになれば、簀の上に残った余分な水や紙料を一気にふるい捨てます。
  17. 紙床移し 漉き上げられた簀の上の和紙は水を切った後、紙床台へ移動します。紙床台の上に一枚一枚ていねいに重ねていきます。一日250枚以上を漉き上げます。
  18. 圧搾 漉き上げられた紙床は一晩放置し、圧搾機によって徐々に圧をかけながら絞っていきます。
  19. 紙床剥がし よく絞られた紙床を一枚一枚剥がしていきます。
  20. 干板貼り 剥がされた湿紙を刷毛を使い、銀杏の干し板に貼り付けます。
  21. 乾燥 貼り終えた干し板を天日によって乾燥します。日時がたつにつれて和紙に張りがでて、コシのある美しい和紙に仕上がります。
  22. 選別 乾燥された和紙を一枚一枚手にとって入念に選別し ます。厚さ、むら、破れ、傷跡、塵などを取り除きます。選別し終えた和紙は、用途別に裁断を行い和紙製品を仕上げます。楮紙・三椏紙・雁皮紙の一枚ものか ら、重要無形文化財の石州半紙をはじめ画仙紙、書道用紙、染め紙、封筒、便箋、葉書、名刺、色紙、和帳、巻紙、その他多種多様の製品があります。
この22にもなる工程を経て、石州和紙はできている。

西田誠吉氏

今回取材に応じてくれたのは七代目の西田誠吉氏。 和紙に対する思いや、和紙が今の日本でどのくらい役に立ち、生活を支えているのかなど教えてくれた。 誠吉氏は1955年7月25日に島根県浜田市三隅町に4人兄弟(男2人女2人)の末っ子として生まれる。代々続く紙屋であったため、自然の遊び場は和紙を扱う工場などだった。小さい頃から和紙が身近にあったが、当時は料理などを作る職業に憧れていたそうだ。 高校を卒業した後は京都の嵐山の近くで友禅染めの仕事に10年ほど従事していた。当時は強い意思を持って友禅染めの仕事をしたいというわけではなく、たまたま知り合いが友禅染めの仕事をしていたから就職したそうだ。 ただ、日本で着物を着る人も少なくなり、友禅染めの需要も徐々に少なくなってきてしまう。小林氏の実家が紙屋であることを知っていたため、実家に帰って和紙の仕事をした方がいいのではないかとアドバイスをもらったこともあり、実家の仕事を継ぐ決意をする。実家に戻った西田氏がやるべきことは、和紙作りができるようになることだった。和紙と一括りに言っても、用いる場所で厚さなどを変えなくてはならない。用途にあった厚さの和紙を作るためにも、どのくらい調子(制作工程15に記載)をするかなど覚えることは多い。 先代からは、使い手に望まれる紙作りをするようにと指導を受け、満足のいく品質の和紙以外は出荷することなと厳しく言われていた。 そのようにして高品質の和紙を作れるようになった西田氏だが、その先にある壁にぶち当たることになる。 「高品質の和紙を作ることは、自分の努力でできる。その先にある和紙を売ること、そして収益を生むことが大変だった。」 これは西田氏が実際に言っていた言葉だ。1人の職人として努力をすれば技術は上がる。だが会社の代表である西田氏は経営者として収益を生み、従業員を養い、そして後継者を育てるところまで役割がある。その部分が大変だったと教えてくれた。そんな壁を乗り越え、今では京都にある重要文化財の修復などの仕事もしている。また、石見神楽の面を作っている小林工房も西田氏が作る和紙を絶賛していた。素晴らしい強度と、原木から自分達で育てて刈り取りしているこだわりが紙から伝わってくる。

今後の和紙と仕事への思い

現在、西田和紙工房にはベテランの方をはじめ、西田氏の息子、地元の女性、横浜から移住した女性の3人の若手が働いている。最近は自分より若手の方が良いものを作るようになってきたと嬉しそうに西田氏が教えてくれた。 やはり力が必要な仕事であるため、年齢を重ねれば良いというわけではない。真面目さと経験と力を兼ね備えた若手だからこそ、素晴らしい和紙を作れているそうだ。 和紙は「これで完成」というものではない。常に最高の状態を維持し、最高を追い求めなければならい。だから人生をかけて取り組んできたし、生き甲斐でもある。和紙作りをできることが嬉しいし、素直に自分に向き合って取り組める仕事だ。 西田氏にとって和紙とは?という質問に、楽しそうに話してくれた。

西田和紙工房
〒699-3225 島根県浜田市三隅町古市場1694
TEL:0855-32-1141
公式HP:https://www.nishida-washi.com/