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石見根付を現代に蘇らせた匠「田中俊睎」 今でも挑戦し続ける姿を追う

島根県/Shimane島根県江津市は東京からの移動時間距離が「東京から一番遠いまち」としても知られている。1300年前の万葉の時代、柿本人麻呂と依羅妹子の出会いが優れた「石見相聞歌」を生み、今も自然豊かな山、川、海はロマンが蘇る土地柄である。また、1350年以上の歴史を持つ有福温泉などの温泉地や、猪の猟などが行われており天然の猪を食すこともできる場所である。伝統芸能である石見神楽も有名であり、同じ石見地区で石見神楽の面を作っている職人を取材したこともある。

石見根付とは

「根付」を知っている人も少なくなっている現代。根付とは、江戸時代に使われた留め具のことである。印籠や巾着などを持ち歩いていた頃は、現代でいうストラップのようにして使っていた。印籠に紐をつけ、紐の先端に根付をつける。着物にはポケットがないため、紐を帯の下に挟んで根付を帯の上方に出す事により、根付が紐に引っ掛かり、袋や印籠などが落ちないようにする目的で用いられた。 江戸時代には大流行し、当時は大名から庶民までお気に入りの根付を持っていたという。 最盛期には全国各地で生産され、特に島根県江津市で作られたものは高度な技巧から「石見もの」「石見派」と称されて人気を集めた。なぜ石見根付が注目されていたのか。それは現在でも石見地方をはじめ江津市の特徴であるように、猪の猟が古くから行われていたからである。他の地域では使われていない猪の牙を用いることで、希少性も高まり人気を博した。 しかし、明治以降になり和服を着る人が少なくなると根付を使う機会も減り、石見根付もいったん途絶えてしまった。

根付の工程

根付を完成させるまでにはいくつもの複雑な制作工程があるわけではない。その分、牙や木などの素材を細かく彫っていかなくてはならないため、とても根気がいる作業だ。一つの作品を作るのに3ヶ月以上かかることもある。 根付の制作工程は、大まかな形を取る「荒取り」、小刀で彫刻する「彫り」、研磨剤を使った「磨き」、さらにその後「仕上げ」(動物の毛並みを繊細に入れる「毛彫り」や、目などを別の素材で入れる「象嵌」など)が行われる。

田中俊睎氏

一度は途絶えてしまった石見根付を復活させた田中氏に話を聞くため、島根県江津市に行き取材した。 田中氏は1942年10月19日生まれの79歳(2021年取材当時)。田中家の長男として江津市に生まれた。弟が1人と妹が2人いる。 昔から工作などが好きで、中学を出たら彫刻の道に進みたかったそうだ。しかし彫刻家として最初から生計を立てるのは難しいだろうと親は考えており、地元の企業に就職をしてみたらどうかと勧める。その結果、田中氏は地元の企業に就職することになるが、勤務が終わった後に自分の趣味として制作活動を続けることとなる。日中は仕事をし、帰宅してから自身の制作活動をし、忙しい毎日が続いていた。

木の作品を制作することから始める

制作開始当初は木を用いて作品を作っていた。木にもそれぞれ特徴があり、桜の木は頑丈で縦にも横にも強い、欅は縦には弱いなどの特徴があり、その特徴を活かした作品を作っている。 またその生き物を忠実に彫ることも大事だが、その中にユーモアなどを入れることも田中氏は心掛けている。そして、その作品をどう感じるか、そこからどう考えるのかは見る側次第。田中氏が制作したものを見る側がどのように感じているのかを見るのも楽しいという。例えばこの缶に蛙が座っている作品もそうだ。この作品一つとっても、前から見るのと横から見るのでは、見方が変わってくる。そして缶の上に乗っている蛙、そしてその横にいる蜘蛛。そこに刻まれている文字…。そこには田中氏の発想が詰まっている。こちらの作品も、誰が見るのか、どこから見るのか、どのようにして見るのかによって感じ方が変わってくる面白い作品だ。

根付の制作を開始する

1973年に石見神楽面師で長浜人形師の安東三郎氏、彫刻家の森本眞象氏、米原雲海門に師事し、本格的に彫刻の世界に入る。そして、安東氏のアトリエで石見根付の祖である清水巌氏の根付を見たことをきっかけに根付制作を開始する。高円宮殿下が1995年に石見根付の研究のために島根県に来られた際、根付の方向性を指針していただき石見で生きる証として1995年から根付の制作に専心し、以後数々の賞を受賞。カエルやクモなど巌一門が得意とした小動物を扱う。銘が浮き上がる石見根付特有の浮き彫りの手法も独学で解明してきた。

これからの根付と後継者

田中氏から興味深い言葉を聞いた。「確実に成功するのが冒険。今は常に挑戦している」と。ただこれだけを言っており、その理由は教えてくれなかった。 取材後にこの言葉を振り返ると、次のようなことだと理解できる。 冒険とは成功するかどうか確かでないことを行うことであり、言い換えれば自分でここが成功だと決めることができる。しかし挑戦は字の如く挑んで戦うことであり、常に研磨をし続け、現状に満足することなく先へ先へと前を見ていることだと。 実際、田中氏は作品作りが終わった時点で「今度こそ!今度こそ!」と思っていると言う。 今はお洒落なアクセサリーが出てきてはいるが、先人達の作品を基本とし、機械の時代になっても絶対に手作業じゃなきゃできないという要素を根付に入れていきたいとも話してくれた。 後継者に関しては、他に職業を持ってでもいいから育てていきたいと。そして地元の人に継いで欲しいとも。 こんなに根気のいる作品作りは大変そうにも思えるが「自分ができるんだから、他にできる人もいるはず」と、最後まで謙虚に根付の楽しさと素晴らしさを話してくれた。

木彫・石見根付 田中俊睎
〒695-0016 島根県江津市嘉久志町