SHOKUNIN

沖縄伝統「琉球ガラス」の最高峰を常に探求する、末吉清一氏の伝統に馳せる思い

沖縄県/Okinawa

多様な文化が溢れる沖縄県

日本で最も南にあり、最も西にある沖縄県。中国大陸や台湾に近いことから、食べ物や生活の中にアジアの要素が多く残っている部分もある。また、アメリカの基地が多く存在するため、アメリカから持ち込まれたモノなども散見される場所。
そんな各国の要素と、沖縄ならではの文化を合わせた伝統工芸品が今回紹介する「琉球ガラス」だ。

琉球ガラスとは

まず、沖縄にガラスはいつ頃持ち込まれたのか。
1690年に、平田典通という人物が「開山和尚像」を作った際に和尚像の義眼に焼玉(ガラス玉)を使ったという記録が残っている。また、「琉球国旧記」には、1730年代の職種に「焼玉」という記載があり、これはガラス職人を指しているのではないかと考えられている。
このことから、1600年代の後半頃には沖縄にガラスが伝わっていたと考えられる。

それから時間が経ち、明治(1868 – 1912年)以前には日本全土でガラス製品が普及した。けれども沖縄は船で物資を仕入れいていた為、その全てが破損してしまう事が多かった。そこで九州や大阪からガラス職人を呼び、ガラス製品作りが盛んになったと言われている。

しかし、第2次世界大戦の戦火でガラス工房全てが全焼してしまったため、現在は戦前のガラス製品はほとんど残っていない状況だ。そして1960年代後半に、アメリカ駐留軍人の需要が多いことからガラス造りが盛んになってきた。サラダボール、ドレッシング用の瓶、ワイングラス、造花等が現在まで引き続いて生産されている。

琉球ガラスの色の特徴

琉球ガラスといえば、その沖縄らしい綺麗な色が特徴。
琉球ガラスの色の特徴は、かつて材料のくず瓶の色をそのまま用いるという沖縄ならではの作り方で表現されていた。その色は約7種類あり、淡水色は一升びんの色、みどり色は清涼飲料水のセブンアップの瓶の色、茶色はビール瓶の溶けた色である。

現在は、瓶の再生利用だけでなく、琉球ガラスの特徴が出るように調合された原料ガラスも多く、南国沖縄の強烈な太陽が育んだ鮮明な原色とぽってりとした手作りの風合いが特徴で、沖縄の蒼い海、夕日に輝く空、色とりどり花など、明るく清らかなイメージが原色の光を透してガラスに溶け込んでいるかのようです。


琉球ガラスの作り方

琉球ガラスの製法は大きく2つ。
①宙吹き法
高温で熱して溶けたガラスの火玉を鉄パイプで巻き取り、そこに息を吹き入れ、回しながらふくらませて成形する方法

②型吹き法
木型や金型を用い、その内側にガラスを吹いて成形する方法
この他に加飾の方法として、成形途中でガラスを急に水の中に入れヒビが割れたように飾る「ひび入れ法」がある。水の温度により様々なひびを入れることが可能だ。

末吉清一氏

今回、素敵な琉球ガラスを製作している末吉清一氏に話を聞く事ができた。
1961年11月25日に沖縄本島から船で1時間で着く人口5000人(当時)の伊是名島で、9人兄弟の6人目として生まれた。

実家は農業を営んでおり主にサトウキビとお米を生産していたそうだ。小学校の頃は畑の仕事をよく手伝い、飼っていた馬に草をあげたりもしていたとのこと。
そんな末吉氏だが、小さい頃はガラスを見たことはなかった。ガラス製品は既に紹介した通りアメリカ駐留軍が使うために作られていたのがほとんどで、実家では湯呑みをなどを使っていた。

だが、16歳の頃に沖縄本島の宜野湾にあるガラスを扱っているお店で初めてガラスを見て、その綺麗さに惚れてすぐに働きたいと直談判をしたそうだ。そして翌日から働き初め、8年間もお店に勤めることになる。

最初は物販の仕事がメインだったが、徐々に琉球ガラス製作の仕事も任せられるようになる。琉球ガラスは熱く熱せられたガラスを熱いうちに形を整えなければならないが、意外と最初から苦労せずに作る事ができたと笑いながら話してくれた。失敗もほぼなかったため、師匠にも怒られた記憶がないそうだ。その一方、同期はよく怒られていたと、これもまた楽しそうに話してくれた。

卒業前の北海道旅行と、この仕事で生きていくと決めるまで

末吉氏は、20歳の時にガラス製品が有名な北海道に行っている。この時にガラス製作所を三ヵ所見学に行ったそうだ。琉球ガラスとは違う材質とデザインに、インスピレーションとしてとても勉強になったと語っていた。
そして琉球ガラスを一生の仕事にしようと思ったのは、学校を卒業するちょっと前だった。
自分を表現できるのがこの仕事だと思い、琉球ガラスと共に生きていくことを決断した。


作品製作と、今後の琉球ガラス

職人と聞くと、これまでとても大変な苦労を重ね、辛いこともあったのではと考えてしまうが、末吉氏は「ずっと大変だったはずだったけど、大変だっと思ったことはない」と言う。若い時は思い通りに作品製作ができずに眠れない時があり、今でも夜眠れないことがあるらしい。けれどもいい作品ができたり、出展した大会で賞を受賞すると、それまで「大変だった事」が「大変だったはずの事」と自己の認識の中で苦労の部分が抜けていくそうだ。

そして、年齢と経験を重ねるごとに、今までは閃きで作品を製作していたのが、知識や経験の蓄積で新らしい作品が思いつくようになるそうだ。

琉球ガラスの今後については、とても良い方向に変化していると教えてくれた。
後継者不足もなく、若い人が育ってきているそうだ。昔と違い、工房全体で時間を割いて若い人に技術を教えている。
あとは自分の中で、どこまで作品を突き詰めるかどうかにかかっている。自分の中で線を引かず、とことん最高の琉球ガラスを突き詰める事が重要だと、これからの人たちにありがたい言葉を添えてくれた。

琉球ガラス村

今回、琉球ガラス村(https://www.ryukyu-glass.co.jp/about/)に取材協力をしていただいた。
最近では新しい取り組みとして、使わなくなった車の窓のガラスを再利用したmado( https://ryukyu-glass.shop-pro.jp/?pid=144544778 )なども製作している。
今後の琉球ガラスの新しい活動にも期待したい。

琉球ガラス村
〒901-0345 沖縄県糸満市字福地169
TEL:098-997-4784
営業時間:9:00~18:00(年中無休)
工場見学は17:30まで
定休日:なし