SHOKUNIN

日本の1番西にある与那国島で自然と共生している「与那国織」 伝統を残し、新しさを探究する長濱氏の思い

沖縄県/Okinawa

日本の1番西にある島「与那国島」

日本の最西端にある、晴れた日には遥かかなたに台湾の山々を望む国境の島「与那国島」。人口は1600人程で、サトウキビ農業、漁業、畜産、観光が主要産業であり、自然豊かで温暖な気候が特徴だ。そんな与那国島で作られているのが、今回紹介する与那国織。

与那国織の模様の特徴

与那国織は、大きく4つの模様に分かれている。

・与那国花織
古くは役人のみ着用が許されたと言われている。幾何学模様の紋織が小花のように可憐であり、他の花織と比べると裏地に絹糸が通っていないところが与那国花織の特徴である。

・与那国ドゥタティ
与那国の方言で4つのことを「ドゥーチ」と言い、4枚の布を併せて作ることからドゥ(4枚)タティ(仕立て)と呼ばれている。苧麻や木綿を使用し、衿は黒無地、袖は短く丈も膝下くらいになっており簡素で涼しいように工夫されている。色使いも独特で必ず白、黒、青が用いられている。
島内の豊年祭や行事になると島人はドゥタティを着ることが多い。

・与那国シダディ
綿や麻地などに福木や車輪梅(シャリンバイ)などの草木染、泥染などをした色糸を織り込むのが与那国シダディ。シダティとは手拭いという意味。
祭事などで使用されることが多く、女性は頭に巻き、男性は腰に下げる。その他にも舞踊などにも多く使われている。

・与那国カガンヌブー
カガンは鏡のことで、ブーは紐を表す。この細帯に織られた模様は男女の愛を唄っており、中央には夫婦を表すミウト絣(ミトゥダ)の模様がある。
※絣とは、文様織の一種。文様の図案に従って経糸か緯糸、または両方の糸を前もって染めておき、これを用いて織った織物。

制作工程

次に与那国織がどのようにして作られているのかを説明する。
※ここでは、「与那国花織」を例として紹介

デザイン

伝統的な図柄などを参考にし、用途に応じた材料を選択して図案を制作。

絣括り(かすりくくり)

ムラなくきれいに染色するため、糸をお湯に浸して糊や汚れなどを取り除く。その後、絣の場合は、糸繰りして絣糸や地糸を巻き取り、絣用の糸を引き揃えて張り伸ばし、図案通りに印をつけ、印の部分を木綿糸などで手括りする。

染色

よく湿らせて叩いた糸を染液に浸し、温度を徐々に上げながら「煮染め」を行う。必要があれば「媒染」と「染色」を繰り返す。媒染とは、植物色素の定着や発色を手助けするために、糸を媒染剤液に浸すこと。
絣の場合、濃度を均一にするために絣糸と地糸を一緒に染めるが、糸質や用途により別々に染めることもある。
染めた糸は固く絞り叩いて空気酸化を行い、その後は天日で乾燥させる。

染料は、与那国島に自生している植物を採取して作る。使われる植物は、インド藍、福木(ふくぎ)、ミトゥフ、車輪梅(しゃりんばい)、 月桃(げっとう)、クボタクサギ、稚の木など。また、植物により青色系、黄色系、赤色系の染料を作ることができるが、植物染料の作り方は原料となる植物により異なる。

・インド藍
採取したインド藍は、桶に水を入れて藍の葉を入れて2~3日放置する。その後、藍草を取り出して石灰を混入してかき混ぜ、沈殿した藍分に酒や水飴などを混ぜて自然発酵する。

・ミトゥフ
ミトゥフ(イボタクサギ)の葉は、洗った後に鍋で約30分煎じる。3番煎じまで行った液を布などでこしたものが染液となる。

糸繰り

糸繰り機などを使用して糸を巻き取る。

整経(せいけい)

必要な長さ、本数の縦糸を一定の張力で引き揃える。

仮筬通し(かりおさどおし)

筬(おさ)1目に糸2本を通す。

経巻(たてまき)

縦糸の張力を一定にして、紙をはさみながら巻き取る。絣柄にズレがある場合は調整する。

綜絖通し(そうこうどおし)

巻き取った縦糸は仮筬を外し、糸を1本1本「綜絖(そうこう)」に通していく。

花綜絖がけ(はなそうこうがけ)

花綜絖に糸を通す作業で、花織の模様ができる重要な工程。

織り

機織りの作業で、花綜絖を上げ下げしながら織り進める。通常は、製織専門の織工が1~2カ月かけて1反を織り上げる。

長濵徳美氏

今回、徳美工房の長濵徳美(ながはま よしみ)氏に話をうかがった。
長濱氏は与那国島で1967年12月21日に生まれ、兄弟は全部で5人。
家で牛を飼っていたことから、小さい頃から牧場を走り回って遊んでいたそうだ。与那国島は綺麗な海が目の前に広がっている場所が多いが、父親と母親の親戚が海でなくなってしまっていた為、小さい頃から海で遊ぶということはしなかったそうだ。そんな幼少期を過ごしたのち、
長濱氏は与那国島を離れ沖縄本島の高校に入学する。実は与那国島には高校がない為、進学する子どもは皆が一度は島を離れる。

母方の祖父が織物をやっていたため織物には触れていたが、高校進学の時点では織物で生活しようとは思っていなかったそうだ。当時、親が酒造を営んでいたため、将来は事務の仕事をしながら酒造を手伝おうと考えていたそうだ。ちなみに、今は兄が継いでいる崎元酒造は与那国最古の酒造として人気がある。
https://www.sakimotoshuzo.com/

高校を卒業して大学に進学した長濱氏は、空いている時間で沖縄本島の南風原(はえばる)にある技術センターで織物の基礎知識や技術を学んだ。同じく織物を学んでいる生徒は全部で7名。その皆と先生と宮古島に行った際に、宮古上布に触れた長濱氏は織物の魅力に深く魅了されることになる。

宮古上布は、北の「越後上布」南の「宮古上布」と言われているように、最高級品の2大上布のひとつ。上布(じょうふ)・中布(ちゅうふ)・下布(かふ)とある中で一番上等な布で着物や帯に用いられている。その生産工程は、着尺に使われる糸を績むだけで半年、糸から織り上げるまで数か月かかると言われている。熟練した職人でさえ1日あたり20~30cmを織ることが限界のため量産することは不可能。そして完成した宮古上布は紙のように軽く、光沢がありとても綺麗だ。

技術センターで学んだあとは、1879年に創業した老舗である大城織物工場で3年間勤めることになる。職場の雰囲気はとてもよく、和気藹々とした雰囲気で楽しかったと教えてくれた。大城織物工場では販売に関する知識なども学ぶことができ、24歳の時に与那国島に戻り徳美工房を開くことになった。

当時の与那国には織り子さんは10人程しかいなかったそうだ。その中でも実際に織っている人は更に少なかった。また、仕事をしない人が機織りをしているというイメージがあり、今の職業感とは異なる部分があった。

徐々に織り子が少なくなってきてしまったが、今まで綿を使っていたものを絹に変えたり、試行錯誤を繰り返し与那国織の知名度をあげようと努力したと教えてくれた。

これからの与那国織

最後に、これからの与那国織に関して聞いてみた。
徳美工房には決まっている後継者はいないが、北海道から与那国島に定期的に来て織っている方もいるそうだ。また、観光地として人気の与那国島には観光客も織物体験をしにきてくれている。たまに海外の方も織りの体験をしに来る。

新しいモノを生み出すことにおいても長濵氏の探究は続いている。現在は絹を中心に織っているが、綿と絹を取り込んだ服地を作り、それを織ってみても楽しいのではないかと楽しそうに話してくれた。

少しでも与那国織に興味を持った方であれば、日本最西端の島に来てくれればちゃんと教えるよと、最後に言い残してくれたのが印象的だった。

徳美工房。(さとみこうぼう)
〒907-1801 沖縄県八重山郡与那国町与那国2329
TEL:0980-87-2091
営業時間:10:00〜18:00
定休日:日曜日(地域行事がある場合は日曜日以外でもお休み)