八女石灯篭とは
日本の庭園に必ずある石灯篭。福岡県八女市(やめし)で作られる八女石灯篭は寒さや暑さに強く、石苔が早く付くのが特徴だ。というのも八女石灯篭は八女石という特徴的な石から作られている。八女石は福岡県八女市山内・上陽町・黒木町一帯で産出する輝石安山岩質溶結凝灰岩で、全体的には暗紫灰色の色調で、黄色軽石や黒色の黒曜石がレンズ状に入っているのが特徴だ。
八女石は約7万年前に、阿蘇山から噴出した阿蘇火砕流の堆積物。この時の阿蘇火砕流は大規模で、島原半島や天草、そして関門海峡を渡り山口県宇部にまで達している。そして、この時の火砕流により阿蘇の見事なカルデラが形成された。八女石は軟質で、彫刻しやすく、軽量で、耐火性・耐寒性に優れているのが特徴。主に石塔・石彫・仏石・灯籠に利用され、八女石灯籠を作るのにも適している。
八女市
八女市は福岡県の南西部に位置する人口65,000人程度の市であり、隣は温泉で有名な大分県がある。三国山(筑肥山地)から流れ出る矢部川は日本最大の干潟を有する有明海に注繋がっており、有明海の生態系を担う重要な河川の一つとなっている。矢部川の支流である星野川も澄んだ川でとても綺麗であり、緑が多く空気が綺麗な場所である。
江戸時代には筑後米として名を馳せた米はもちろん、有名な八女茶や果物や電照菊などが有名だ。
馬渡石材産業 福島氏
八女石灯篭を作られている職人、福島氏に話を聞いた。福島氏は1969年1月23日に八女市で生まれた。小さい頃は先述した星野川で毎日遊んでいたそうだ。夏は学校から帰ってくるか、帰ってくる途中で川に毎日飛び込んでいたそうだ。その頃は本当に真っ黒に日焼けしていたと屈託のない笑顔で楽しそうに話してくれた。また、川ではアユ コイ、フナ、ナマズなども釣れ、食卓には毎日魚が並んでいた。ただ、子供の頃は魚ばかりではなく、肉が食べたかったらしい。また、八女ではギュウギュウという魚がいるらしい。後ほど調べてみたら、ゴンズイの事を一部の地域ではギュウギュウと呼ぶそうだ。
馬渡石材産業は明治29年創業に創業され、三代目から今の場所で事業を行なっている。福島氏が生まれ育ったのも今の場所で、小さい頃から目の前には星野川があり、作業場には大きな石灯篭があったそうだ。19歳の時に1年間事業を手伝うも20から24歳の時には、福岡県から遠く離れた茨城県の滋野家に修行に行く。そして、ここで福島氏が修行をしたのが仏像に関してだ。ただ石灯篭を作るだけではなく、仏像などの表情や体を彫れるようになるために、茨城まで行った。ちなみに茨城までは車で17時間かけ東京まで行き、翌日に東京から茨城までというかなり過酷な道のりだが、本人は楽しく行けたと語っている。
なお、修行は4年間という約束だったそうで、3年間修行をし1年間は奉公の期間。この濃密な4年間で仏像を彫る技術を習得し、24歳で八女に帰ってきた。
ちなみに福島氏が修行の場所を茨城に求めたのには理由がある。八女で使われている石は凝灰岩か安山岩で軟らかいのが特徴だが、茨城で使われている石は花崗岩で硬い。あえて地元で採取される石とは違う石が使われている場所に修行に行ったのだ。
福島氏の悩み
そんな福島氏に仕事での悩みを聞いたところ、福島氏ならではの悩みを教えてくれた。仕事をしていて困るのは、自分が彫っている仏像の顔にいつまで経っても納得できないことらしい。仏像の顔は、一つ彫り進めると違う顔になる、さらに一つ彫り進めるとまた違う表情になる、この繰り返しだ。ふたつとして同じ表情は存在しないし、彫ってしまったら修復することもできない。つまり一彫り一彫りが真剣勝負なのだ。そして、いつまで経っても納得できる表情が彫れない自分自身に腹が立つそうだ。顔の表情も然り、体のラインもとにかくこだわって彫るからこその悩みだろう。
何度彫り進めても納得しない時には、一度その場を離れることもあるらしい。中には翌日まで離れることもあるとか。そして再び作業場に戻ると、顔の表情が変わっている時があるそうだ。そして気持ちを落ち着かせて作業を開始し、ある程度納得した時が嬉しい瞬間だと教えてくれた。
今後の八女石灯篭
最近では、大都市ではマンションやアパートが多く、庭園がある一軒家は少なくなってきた。それに比例して石灯篭の需要も減ってきているという。昔は大きい石灯篭の注文も多かったそうだが、今はほとんどないとの事。そして、石灯篭や一度庭園などに置いたら一生壊れずに残るものだ。だからこそ、とても丁寧に気持ちを込めて作っていると語ってくれた。
少なくなってきている日本の庭園だが、そこに石灯篭があるだけで趣あるし、庭園の景色に奥行きが出てくる。日本に古くからある石灯篭をこれからも伝承していきたい。
有限会社 馬渡石材産業
〒834-0012 福岡県八女市山内1140
Tel : 0943-22-4814