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手間をかけて品質を極める。基幹産業としての有松・鳴海絞りを日本全国、そして世界へ広める成田氏の仕事論

愛知県/Aichi

「絞り染め」は、布の一部を縛ったりして染料が染み込まないようにすることで模様を作り出す模様染めの技法の一つ。絞りから生み出される濃淡のある模様がその特長です。

今回は400年にわたってその歴史を築いてきた有松・鳴海絞りと、家業を継いで職人となった成田氏にせまります。

多彩な技法をもつ、日本でもっともメジャーな染め物

有松・鳴海絞りは、愛知県名古屋市にある有松・鳴海地域を中心に生産される絞り染めです。日本国内における絞り製品の大半を占め、全国の百貨店や呉服店等で手に入れることができる、日本で最もメジャーな染め物の一つです。

「絞り」という染の技法そのものは奈良時代に始まったものですが、有松絞りが始まったのは徳川家康が江戸に幕府を開いて間もない1600年頃です。もともと現在の大分県にあたる豊後の大名が、名古屋城築城の手伝いを命じられていた際に豊後から連れて来た人たちによって、絞りの技法が伝えられたと言われています。尾張藩が有松絞りを藩の特産品として保護し、有松絞りの開祖である竹田庄九郎が御用商人として藩に絞りを納めたことから有松絞りは発展していきました。有松での絞り染めが盛んになるにつれて、鳴海などの周辺地域でも絞り染めが生産されるようになります。そのため、現在では周辺地域で生産される絞り染めを「有松・鳴海絞り」というように総称されています。

やがて江戸と京都を繋ぐ東海道を行き交う旅人が故郷へのお土産に絞りの手拭(てぬぐい)や浴衣などを買い求めるようになり、有松絞りは「街道一の名産品」と呼ばれるほど人気の一品に。その繁栄ぶりは葛飾北斎や歌川広重の浮世絵に描かれています。

有松・鳴海絞りの特長は、なんと言ってもその絞りの技法の多彩さ。その数は100種類も及びます。代表的な技法には縫絞(ぬいしぼり)、くも絞、三浦絞、鹿の子絞、雪花絞(せっかしぼり)等があります。これらの多彩な技法によって美しい模様が作り出されます。

有松・鳴海絞りの生産工程

有松・鳴海絞りがどのように作られるのか見ていきましょう。
まずは、絞りの柄・図案を決定します。その次は、型彫りといって図案に従って糸でくくり、絞る位置の目印を生地に彫ります。

そして、いよいよ絞り(くくり)の工程です。絞りの技法には様々な種類があり、職人さんごとに得意な絞りがあります。1つの図案に数種類の絞り技法が組み合わされている場合は、それぞれの技法によって別の職人さんに依頼することもあります。絞りのあとは、布の染色が行われます。

布が染め終わったら、糸抜きといって絞った糸を取り除いていきます。

糸抜きが終わって、仕上げをすれば完成です。あえて布を完全に伸ばさずに仕上げることで、独特の風合いが生まれます。

父親に売上で勝つために。
成田氏の思いがけない後継ぎとハードな営業の日々

ここからは職人の成田氏についてせまります。

成田氏は、1951年11月6日の有松生まれ。大学時代は東京に出て応用化学を学んだそう。その後、染色工場に勤めるも、実家の有松・鳴海絞りの製造卸の事業が忙しく家業を継ぐことになりました。

成田氏は姉がいたため、姉が家業を継いでくれるものだと思い込んでいたそうなのですが、姉は結婚してお嫁に行ってしまいます。成田氏自身は大学で学んだ知識を活かして染色工場で仕事に励んでいたので、そもそも家業を継ぐ気がなかったそう。家業を継ぐことに関して父親と幾度も話し合ったものの、十分に納得のいかないまま継ぐことに。

家業を継ぐために実家に戻った成田氏は、当初、父親と営業面で競争をしていたとのこと。まずは自らで新規の顧客を開拓し、一切父親からの顧客を引き継ぐようなことはしなかったそうです。

新規顧客を探して営業する毎日。朝の6時半に家を出るために、起きるのは5時半。そして7時半には始業。大阪や京都の顧客が多かったため、名古屋から関西まで行き、夜に会食を終えて終電で帰ってくる毎日だったそうです。最初の2、3年は父親に営業の成績で負けていたものの、その後は父親に負けず劣らずの売上をあげるように。

「品質で勝負し、価格で勝負しない」あえて手間を取る成田氏のこだわり

成田氏は、自身が家業を継いでから大きく変わった部分があると語ります。それは「品質で勝負し、価格で勝負しない」こと。

成田氏が大事にしてきたのは、品質、納期、価格の3つ。他の企業より価格が高くても品質には自信があったため、品質を極めていくことでその良さを理解してくれる顧客と多く付き合えるようになったと話します。

品質を向上させるために、通常は1回のみの検品作業をなんと5回まで増やしたそう。生地を検品、絞りの前に検品、染めた後に検品、糸を取る前に検品、糸をとった後に検品、というふうに大変手間のかかる工程をあえて導入して質の向上を図ってきました。

そんな成田氏に職人として一番嬉しい瞬間を尋ねると、「ここまで手間暇かけて完成した有松・鳴海絞りが他の職人の物より高くても、ちゃんと理解して買ってくれた時。」そう言って、笑みを綻ばせます。

基幹産業としての絞りを日本全国、そして世界へ

近年、愛知県の出身などに関わらず、大学を出た若い方が地元を訪れて自分で絞りを学んだり、自ら工房を作って販売することが盛んになってきているとのこと。

また、海外の方が有松・鳴海絞りを見学に訪れて技術を学び、その後に自国に戻って広めてくれたりもしているのだとか。そして近年、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパの方が町を訪れ、有松・鳴海絞りのストールや浴衣地を買って帰られることも多くなっているそうです。

成田氏は最後にこう話してくれた。

「わが町には400年の歴史があり、素晴らしい街並みも残っている。そこで商われているのが基幹産業としての絞りです。先祖が代々残してきたロケーションを楽しみながら絞りも楽しんでほしい。国籍年齢性別問わず、一度は訪れてみてください。」

職人さんたちの技術は有松・鳴海絞会館で見学可能。事前予約の必要はないので、気軽に立ち寄ることができます。

そして有松では、毎年6月の第1週の土日に「絞り祭り」が開催されています。江戸時代の風情がある街並みに様々な有松絞りが集まるこの祭りに、なんと8万人もの人が訪れるそう。「絞り祭り」に合わせて有松を訪れれば、より一層有松・鳴海絞りの息吹を感じられるのではないでしょうか。

アクセス:
〒458-0924 
愛知県名古屋市緑区有松3008番地
TEL : 052-621-0111
FAX : 052-621-6051
開館時間:9:30~17:00(実演は16:30まで)