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運命の出来事を境に、生まれ育った地域に生息する虎斑竹を世界へ。 山岸氏が思う日本人と竹

高知県/Kochi

虎斑竹とは

まず最初に、今回話をしてくれた高知県安和に生息する、不思議な竹に関しての説明を先にしたい。その竹の名前は虎斑竹。この竹に魅了され、この竹を使った製品を世に出している山岸氏の話をする前に、是非とも知っておいて欲しい情報だ。
虎斑竹(とらふだけ)は淡竹(ハチク)の仲間で、表面に虎皮状の模様が入っていることからこう呼ばれている。この模様は幹に付着した寄生菌の作用によるとの学説や、高知県安和の土の成分が原因など言われていますが、理由はまだ明確には分かっていない。また、今回取材した「虎斑竹専門店 竹虎」がある一帯の、わずか1.5キロの間口の狭い谷間でしか成育していない、とても希少性の高い竹だ。


そんな虎斑竹は軽くてしなりがあるため、生活に必要な道具に生まれ変わることができます。そして同じ柄がふたつと存在しないので、同じものを作っても柄が異なるのも特徴。

虎斑竹の加工工程

虎斑竹の製竹作業は、竹の目打ち、ガスバーナーによる油抜き、矯め作業という流れで進む。虎斑竹には一本一本個性があり、その個性を最大限に生かすために、熟練した職人さんの手で矯正されていく。ため木(てこの原理を利用した昔ながらの道具)を使って、ガスバーナーの火であぶり、油ぬきした竹を熱で節々をまっすぐに矯正していく。こうしてまっすぐに製竹された竹が、様々な虎斑竹の製品へと生まれ変わる。

山岸義浩氏

株式会社山岸竹材店の4代目である山岸義浩氏に話を聞いた。山岸氏は昭和38年3月27日に高知県須崎市で生まれた。小さい頃から虎斑竹しか見ずに育った為、竹には虎の模様がついてるのが当たり前だと思っていたとのこと。正月に玄関に飾られている門松を見て、門松には青い竹が使われているんだと、大多数の人が知っている竹が珍しかったと教えてくれた。

中学校と高校は高知県の明徳義塾高校に進学し、中学時代は野球部に所属し野球に熱中していた。今では笑い話として話してくれたが、明徳義塾は全寮制でテレビを見ることが禁止だった為、当時のアイドルや歌手に関する知識は一切なく、情報がすっぽりと抜けているらしい。

大学からは大阪に行き、毎日アルバイトが中心の生活を送っていた。今まで寮に入っていて外の世界と触れることがなかった為、とにかくアルバイトが楽しくてしょうがなく、引越しのアルバイトをしてお金を稼ぐ楽しさを知ったという。

運命の出来事が起こる

そんな山岸氏だが、大学4年の時に奇跡的とも言える体験に遭遇する。
ちょうど実家に戻ろうと思っていた大学4年の7月24日の夜、特技は3秒でどこでも寝られることだと豪語する山岸氏だが、その日に限りなかなか寝付けなかったそうだ。ふと外に出てみると、なんと会社の工場が燃えていることに気が付いたという。子供の頃から遊び場としてきた工場から大きな火の手があがっているのが分かり、必死に消火作業を行った。
しかし、山岸氏の消火作業も間に合わず結局は工場が全焼してしまった。そして会社の大事な資産である竹も勢い良く燃えてしまったそうだ。

この火災で全焼してしまったものの、この火事に最初に気付いたのは、いつもはすぐに寝付けるのにその日に限って寝られなかった山岸氏。こんな不思議な体験から、自分がこの会社や虎斑竹と深い縁があるのではないか…火事で窮地に追い込まれてしまった会社を自分が立て直さないとならないのではないかと思い、これから自分も会社を手伝って、この状況から脱却しようと心に誓ったそうだ。

会社を手伝い始める

大阪から高知に戻って実家を手伝い始めたが、今まで竹細工を作る作業をしたことがない山岸氏は当時は仕事が全く面白くなかったという。周りは今まで何十年も竹を扱って商品を作ってきた職人さんばかり。腕が良くないと全く相手にされない雰囲気があり、山岸氏は職人さんに相手にされなかったそうだ。その状況を打破するために、まずは竹がどのような特性があり、どのように加工をするべきか、どのように竹細工を仕上げていくのかなど、竹に関する情報などを勉強した。そして実際に加工し自分の手で作っていく中で、色々なことがわかってきたという。

また、会社の商品を売らないといけないので営業活動にも励み、売り上げを向上させるために汗を流した。というのも、職人さんが一生懸命作った商品が倉庫にあるのに、それが全然売れない。売れないけど商品を作っているので、倉庫には商品がどんどん溜まっていく。それを見た職人さんのモチベーションが下がるなど、会社にとっては良くない状況もあったという。そんな状況を改善するには商品が売れて売り上げが向上するのが重要。色々な商品を車に積んで、とにかく営業活動を頑張ったと教えてくれた。

インターネットで業績が回復

世の中の流れに乗り、山岸氏は1997年に会社のホームページを立ち上げる。ただ、この頃はインターネットの普及率が9%ととても低い時代だ。なお、日本初のポータルサイトであるYahoo!が開始されたのが1996年なので、かなり早い時期での会社ホームページ立ち上げだと言っていい。この頃からネットでの注文が入り会社の業績が急回復…と言いたいところだが、2000年までに売れたのは竹の繊維でできた和紙のハガキセットが売れただけという。ネット販売がまだまだ普及していない時期に先を見越して導入したが、全然売れなかったそうだ。その後、ホームページを回収したり試行錯誤2001年の5月から売れるようになった。

そして2005年に父親から代表を譲り受け、4代目の代表取締役に就任する。

虎斑竹の今後の展望

現在、山岸氏の会社には20代の職人が3人在籍しており、技術の継承は恵まれているという。何十年も技術を磨いてきた職人さん達が、若い世代へしっかりと技術を伝えている。

そして最後に 山岸氏は興味深いことを話してくれた。日本人は何千年も前から竹と寄り添って生きてきた。昔から竹と共に生活してきた日本人にこそ、竹の楽しさを知ってもらい、竹のある暮らしを提供したいと話してくれた。

竹虎 株式会社山岸竹材店
〒785-0024 高知県須崎市安和913-1
電話:0889-42-3201
メールアドレス:info@taketora.co.jp
https://www.taketora.co.jp/