SHOKUNIN

アイヌの伝統工芸「二風谷イタ」の継承者である貝澤徹氏が開拓する、現代とアイヌ文様との共生

北海道/Hokkaido

二風谷とは

今回取材に訪れたのは北海道平取町二風谷(びらとりちょう、にぶたに)。、この場所は人口の過半数を北海道の先住民であるアイヌが占めていて、北海道内でアイヌの比率が最も高い地域だ。アイヌ語による地名はニプタニ(Niptani)であり、木の生い茂るところという意味がある。

新千歳空港から車で約1時間かけて着くその場所はニプタニという名前の通り、とても自然が豊かで空気が澄み、深呼吸を繰り返したくなる。訪れたのは8月下旬だが、春から夏は光溢れ、秋は木々が彩りを深め、冬は真っ白い世界が広がる、四季折々の表情を豊かな場所である。この場所に流れる沙流川からは色々な生き物が恩恵を受け、そこに自然と共に生きる二風谷ならではの文化が、現在まで脈々と引き継がれている。

アイヌとは

二風谷を紹介する中で先に紹介しておきたいことがある。それがアイヌだ。アイヌは北海道を主な居住圏とする先住民であり、今の日本からみた場合では少数民族となっている。冬はとても厳しい寒さが訪れる北海道の中で、独自の文化を作り発展させてきた。
母語はアイヌ語で日本語とは系統が全く異なる。実際、北海道に訪れてみると、カタカナの地名や、漢字で書かれていても読めない地名などが散見される。これはアイヌ文化が今も残っている証であり、アイヌの方々が北海道を作ってくれた証拠である。

ちなみに、アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。
そして、アイヌの社会では、「アイヌ」という言葉は行いの良い人にだけ使われていた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言っていたそうだ。

また、アイヌと一言でいっても地域により異なる集団があり、それぞれ出自が違い、文化なども異なっていた。

・シュムクル(サルンクル)
シュムクルは、日高地方北部および胆振地方東部を居住地とする集団である。祖先は本州から移住してきたといわれ、他のアイヌ民族集団の中では見られない伝承を有しているのが特徴。「二風谷アイヌ文化博物館」ではシュムクルの文化をより深く知ることができる。

・メナシクル
メナシクルは、主に日高地方南部から十勝・釧路・根室一帯、すなわち道東一帯を居住地とする集団。道東一帯で栄えたトビニタイ文化人を母体とし、比較的遅れてアイヌ文化を受容した集団であると考えられている。

・石狩アイヌ(イシカルンクル)
石狩アイヌは、シュムクルの居住圏である千歳川流域を除く石狩川流域一帯を居住地とする集団である。石狩川は鮭漁が盛んであり、北海道アイヌの中でも土地や資源に恵まれた集団として知られていた。

・内浦アイヌ(ホレバシウンクル・ウシケシュンクル)
内浦アイヌは、胆振地方西部から渡島半島東部の内浦湾一帯を居住地とする集団。土地柄、和人(アイヌや中国人から見た日本人)の土地に近かったため、早くからアイヌ人口の減少が始まっており、その起源や文化については不明な点が多い。

二風谷イタとは

今回紹介する二風谷イタ(にぶたにいた)は、北海道平取町二風谷に伝わる木製の平らな盆のことを指す。
日常生活で長く使用できる実用品でありながら、イタの表面にはアイヌ文様である、モレウノカ(渦巻き)・ラムラムノカ(ウロコ・形を模したもの)が刻まれている。他にもアイウシノカ(刺・とげ)・シクノカ(目)・コイノカ(波)やといった文様で構成された装飾が彫刻されている。

また、江戸時代の記録によると、沙流川流域からイタが献上されていたという記載がある。 イタの素材は、沙流川流域でイウォロ(山や川、海といった自然の空間)と呼ばれている場所で採取できたクルミ、カツラ、エンジュで製作されている。

二風谷イタの制作工程

①原木の乾燥
原木を板状に製材し、3~4年間自然乾燥させる。 原木には水分が多く含まれているため、乾燥させないと制作途中や制作後にひび割れを起こしてしまう。

②板取り
板の表面を平らにして、製作するサイズに切る。

③型取り
荒削りをして、底、角を整える。

④文様彫り
下絵を描き、下絵に沿って線彫りをする。文様の陰影を深めるようにくぼみを彫り、彫りの表情を豊かにするため、主要な文様の周囲に二重線を入れる。

⑤ウロコ彫り
枡目に刻み、彫り起こす。

取材させてもらった貝澤氏の彫刻刀には、アイヌ文様が刻まれていた。

貝澤徹氏

北の工房つとむの代表でもあり、二風谷イタを祖父の代から作り続けていた貝澤氏に話を聞くことができた。

貝澤氏は1958年9月11日に貝澤家の長男として二風谷に生まれた。中学は地元の学校に通い、高校がある北海道内の白老町に下宿していた。なお、高校の時は吹奏楽部でアルトサックスを演奏していたそうだ。その名残か、今でも工房内には蓄音機などの音楽関係の物が置かれていた。

高校卒業後には父親がやっていた工房で一緒に働くことになる。ちょうどこの頃は平取町への観光客も多く、毎年受け入れ人口が増えていた時期だった。だが、北海道内で高速道路ができてしまったことにより、平取町に来る観光客が徐々に減ってきてしまったそうだ。高速道路ができる前までは平取町が通過点になっていたが、近年では寄らずに違う目的地に直接行ってしまう人が多くなってきた。それにより、アイヌ文化に触れる機会も減ってしまい、アイヌ文様の意味や歴史を学ぶ人が減ってきているのも現状だ。

そんな中、貝澤氏は自分のスキルを磨く事に注力をする。18歳から30代までは、動物の彫刻をとにかく作っていたそうだ。動物や生き物が好きで、とにかく作品をいくつも作ってきた。今でも工房や工房に併設されている売店には、様々な生き物の木彫りがある。

その後、35歳くらいからはアイヌ文様の作品を多く作ってきたと話す。
現在では、お客様から直接依頼されることがほとんどだという。このようなモノを作って欲しい、ここにこんなモノを飾りたいからお願いしたいなどだ。しっかりとお客様が何を求めているのかを聞き、お客様に直接届けることにとてもやりがいを感じている。実際、とにかく作成して誰に売れたのか分からない仕事や、大量に生産して販売したりなどは一切していない。

評価され始めたきっかけ

現在、貝澤氏が作った作品は北海道随一の繁華街である札幌の地下通路に飾られている。1年間もかけて制作した超大作だ。北海道に住んでいる人であれば、一度は歩いたことがあるであろう人通りの多い地下街にその作品はある。

貝澤氏が注目されるようになったのは40歳になってからだ。
きっかけは「アイデンティティー」という作品(札幌地下通路に飾られれいる作品とは別)。上着のファスナーをおろすと、そこにはアイヌ文様が刻まれている。自分はアイヌなんだという主張も込められている。強いメッセージ性が感じられ、その表現方法が奇抜で斬新な作品だ。

今までは伝統の要素を残し、先人から受け継いだ文様を守ってきたが、この作品には現代の要素を多く取り入れたそうだ。今、アイヌに関する資料館に展示されているのは先人が作ったものばかり。これからアイヌの歴史や文化を伝えるためには、今の時代のニーズに合わせた作品が求められていると、アイデンティティーを発表してから学んだとのこと。アイヌの血を受け継いでいる自分達が今この場所に生きていて、今このように作品を作り続けていることが何より大事だと話してくれた。

二風谷イタの苦労と今後の展開

作品作りで苦労をしていることは何かと質問をしたところ、このように返答してくれた。「実はアイヌ文様は掘らない部分が大事。つまり”間”が大事なんだ」と教えてくれた。貝澤氏はどうしても文様をたくさん掘ってしまうと笑いながら語っていた。この間の活かし方は、今後も追求していかないといけないらしい。

現在、北の工房つとむには、ヨーロッパやアメリカからのお客様が来ているそうだ。ただ作品を購入しにくるのではなく、アイヌの文化や歴史を学びに来て、その帰りに寄ってくれるそうだ。売店と工房が隣接しているので、工房も見学してくれて、一つ一つ手作りで作っているというのも分かって購入される方も多いとか。

また最近では、大手セレクトショップとのコラボレーション企画が進んでいたりと、現代にアイヌの文様が取り入れられるような活動もしている。

このように、伝統の要素は残しつつ、日本を始め世界にアイヌの文様を伝えていきたいと力強く話してくれた。作り手によってアイヌ文様は異なるため、そういう部分も注目して見てもらいたいと貝澤氏は思っている。

今も北海道に根付いているアイヌ文化。ちゃんと歴史や文化を理解し、先人の作品にも触れ、現代でも触れられるアイヌ文様にこれからも注目していきたい。

北の工房つとむ
〒055-0101 北海道沙流郡平取町字字二風谷74-12
Tel : 01457-2-3660
営業時間:8:00〜18:00
定休日:不定休
HP:https://kitanokoubou.jimdo.com/