縁結びで有名な出雲大社がある島根県。今回訪れたのは県庁所在地でもある松江市。江戸時代には松江藩の城下町として栄えたこの街は、今も当時の歴史を感じられる美しい街並みが残っている。また、日本海に面しており、美味しい魚が一年中味わえるのも特徴だ。一目見ただけでは読むことが難しい「宍道湖(しんじこ)」は特にシジミが有名であり、シジミを使った料理を提供してくれるお店も多い。そんな松江市に伝統を守りながらも新しい取り組みをしている八雲塗り職人がいる。
八雲塗りとは
八雲塗(やくもぬり)は、島根県松江市で生産されている漆器のことであり、明治19年に塗職人の家に生まれた坂田平一らによって考案されたと言われている。深みのある黒色と濡れたような輝きを持つ「呂色(ろいろ)仕上げ」の漆器として誕生した。
まず「呂色仕上げ」に関して簡単に説明する。
漆器の制作工程の最後は「上塗り」であり、何回も漆を塗り重ねた一番最後の仕上げでとしてとても重要な工程だ。埃が付かないように気をつかう仕上げ塗りとして、服の埃でさえも付かないように昔は裸で行っていた職人もいたという。
もう一つ八雲塗りには特徴がある。それは半透明の透き漆を用いることだ。透き漆は光に当たると透明度が上がるため、時が経てば経つほど下に描いた文様が浮かび上がってくる。
その浮かび上がってくる綺麗な文様を描くために、顔料の色粉と漆を混ぜ合わせて様々な色漆を作っているのも他の漆器との違いだろう。
なお、日本で最初の短歌と言われている出雲古歌の「八雲立つ」にちなみ「八雲塗り」と命名された。
工程
八雲塗りの漆器は、既に説明したように色漆を用いて絵付けをするのが加飾の初期工程となる。
木地作り
この工程は八雲塗りの加飾の前工程だが、漆器ができるまでの最初の工程でもある。
- 材料選び:その商品に合った材料を選ぶ
- 寸法切り:商品のサイズに材料を切る
- 組み立て:木取りされた材料を組み立てていく
- 木地研磨:組み立てられた商品をきれいに磨く
下地塗り
- 乾燥:木の目止めをして乾燥させる
- 木地研磨:もう一度全体を磨く
- 下地乾燥:もう一度下地を塗って乾燥させる
- 下地研磨:さらに全体を磨く
上塗り
上塗りは漆器が塗りあがった時に肌に触れる部分。先に紹介したように特に気を遣う作業である。塗りと乾燥と研磨を何度も繰り返すため、仕上がりに何ヶ月もかかることがある。
加飾
漆器を彩る加飾には、伝統的なものとして蒔絵(まきえ)と沈金(ちんきん)がある。蒔絵は、筆に漆を含ませて文様を描き、そこに金粉・銀粉などを蒔きつけ、研ぎ・磨きを繰り返してつくりあげていく。沈金は、刃物で絵柄を彫り、その彫り跡に金箔・銀箔、金粉・銀粉、顔料等を漆で接着させ仕上げていく。八雲塗りの場合は色漆の重ね描きの後、研ぎ出すという絵画における油彩画の技法等も手法として多用している。
武田純氏
ここで、今回取材させていただいた武田純氏を紹介する。最初から最後まで、とても分かりやすく、そしてユーモアも混ぜながら八雲塗りの事と自身に関して話してくれた。
武田氏は1963年5月7日に松江市の雑賀町に長男として生まれる。父も祖父も絵師であったため、子供の頃から仕事を見ていて面白いと思っていたそうだ。最初は何も描かれていないが、筆を使って描くことによって綺麗な花や文様がそこに現れてくる。子供の頃からそのような環境が身近にあり育ってきた。
実はもう一つ、父と同じ仕事を生業にしようと思った理由があったそうだ。父親は職人として自身の技術で仕事をしている。もちろん企業に勤めていないため、父親は自分が仕事をしたい時に仕事を行っていた。そのため、武田氏が登校する時にも寝ていたり、日中には釣りに行っていたりもしていたそうだ。幼少期の武田氏は、なんて素晴らしい仕事なんだと大変さを知らずに憧れていた。
しかし大人なって八雲塗りを仕事にした武田氏は、父親は辛い部分を見せていなかっただけで、とても大変な仕事を熱心にしていたのだと実感することになる。
就職か家業を継ぐか…。そして自分の未熟さに気付く
20歳になった武田氏は就職を考えていると父親に伝えたそうだが、遠くに行くべきではない言われ就職は断念。小さい時から楽しそうだと思っていたこともあり、特に反抗することなく父の後を継ぐことを決めた。
家業を継いだ武田氏は、漆工芸の技術は父から教わった。毎日毎日差し向かいで一緒に仕事をしていたため「分からない部分は明日にでも聞けばいい」という思いから、頻繁に質問などはしていなかったそうだ。しかし父が急逝してしまったため、突然として漆こうげいの技術に関して質問できる人がいなくなってしまった。
そんな中で武田氏が最初に行ったことは、既存の取引先に挨拶周りをすることだった。そこで言われた事で自身の技術が未熟であることを突きつけられる。
取引先に「これからもよろしくお願いします」と伝えたところ、父親の作品が素晴らしいので今まで取引をしていたが、あなたの作品であれば取引をしないと言われてしまう。しかし半分のお客さんは取引を継続してくれるとも言ってくれたため作品作りを続けた。しかし、やはり自分でも納得できる作品が作れない…どこが駄目なのかも分からず、どのようにしたら良いのかを聞ける人もいない。その時、初めて漆工芸の仕事を辞めようと思ったそうだ。
けれども本を読んで調べたり色々と勉強をした結果、30歳くらいの時に納得する作品ができるようになってきた。
これからの八雲塗り
武田氏が今の伝統工芸に関して感じる危機感。それは「日本のあらゆるジャンルの伝統工芸が生活の中から消えていっている」こと。漆器であれ陶器であれ極端に安価な模造品が増えており「壊れたら買い替えればいい」という消費生活が普通となっている日々。技術を注ぎ込んだ器たちが高額になるのは仕方ない。仕方はないが、その王道とも言える道と、さらに「楽しく美しく面白い」作品の作り方が求められていると思うと。生活の中に再び漆が戻ってくるとしたら「楽しく美しく面白い」がテーマになると考えていると。
ではどうするのか。武田氏はいつもデザインについては考えていたと。それは常日頃から考えていたことではあるが、器自体の素材はどうか。器自体に関して考え始めたのはずいぶん前からではあった。
ガラスと漆、古くから確率されている技法ではあるが、透明だからできる表現に大きな可能性を感じ追求してみた。そこから生まれたのが「八雲びいどろ」(ガラス漆器)だった。透明な素材を活かし、内の絵を窓から見せながら外の絵との融合を目指す。そして八雲塗りの特色である、時が経つごとに色鮮やかに変化する「経年変化」をガラスと共に楽しいで欲しい。
このグラスを立体のキャンバスとして捉え、外側も内側も八雲塗りの技術をふんだんに取り入れている。窓のようになっている部分から中を覗けば綺麗な色が。外側にも武田氏が得意としている絵が描かれている。
ガラスに漆で描いた絵や文様は経年とともに変化していく。
最初は濃い色だったものが、時間と共に色鮮やかになり、使っていくうちに輝いてきたりと味が出てくる。
どのように何を描いたら経年と共にどんな様子になっていくか。今後はその点も含めてどんどん追及していくと武田氏は話してくれた。
値段も贈答品に最適な価格であり、誕生日プレゼントや結婚式の引出物として注文する人も増えてきているそうだ。贈る相手の誕生月に合わせた花や、季節の柄を描いたり、相手が好きな模様などもリクエストがあれば描いている。
武田氏はとても明るく気さくな方で、八雲塗りに関しても分かりやすく丁寧に説明してくれた。島根に訪れた際には、武田氏の作品を実際に見て欲しい。そして、八雲塗りの技術がどのようなものなのか感じ取って欲しいと思う。
八雲塗やま本 (武田氏の作品が購入できる店舗)
〒690-0843 島根県松江市末次本町45
※武田氏の工房は「漆工房大燈」として松江市東津田町に有