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山口県最北端の見島に古くから伝わる鬼ヨーズ(楊子)を現代に伝える多田氏の活動と意気込み

山口県/Yamaguchi

日本の凧

日本人なら知っている凧。今回取材した見島の鬼ヨーズ(揚子)は、その凧が独自に発展してきたものだ。そもそも凧は、糸で引っ張り揚力を起こし、空高くに飛揚させる物である。木や竹などの骨組みに紙、布などを張ったシンプルなものだ。世界各地に同じようなものはあり、日本では正月の遊びとして知られている。

その起源は中国であり、最初に凧を作った人物は細工などが珍しくて巧みな器具を制作して名高かった魯班(ろはん)とされている。魯班の凧は鳥形で、3日連続で上げ続けることができたという。中国の凧は昆虫、鳥、その他の獣、竜や鳳凰などの伝説上の生き物など、様々な形状をしている。なお、現代中国の凧で最上の物は、竹の骨組みに絹を張り、その上に手描きの絵や文字などがあしらわれている。

日本では、平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)に凧に関する記述があり、「紙鳶」として登場しているため、その頃まで伝わっていたと推測される。

見島とは

では、今回取材した見島はどのような所か簡単に説明する。
見島は、山口県萩市に属する島で山口県の最北端に位置いる。萩市から45キロメートルの日本海上にあり、萩港から高速船で70分くらいで到着する。島の海岸線には、太古の時代から手付かずの「玄武岩の断崖絶壁など雄大な自然」が残り、北長門海岸国定公園にも含まれている。島の近海でクロマグロが釣れることで全国的に有名で、300kgを超える大物が釣れたこともある。

山口県内で最北端とはいえ、対馬海流が流れている影響で瀬戸内側よりも平均気温が高く、山口県内では最も暖かい地域のひとつである。ただし、離島であり周りに壁になるようなものが無いことから、冬の季節風が直接あたるため体感温度はかなり厳しい。暴風は山口県内でも多い方である。

そして、古くから大陸との交易で栄え、約1000年もの歴史がある島である。

見島の鬼ヨーズ(揚子)とその由来

鬼ヨーズ(揚子)は平安朝時代よりあったものと言われている。見島に住んでいる家で、その一家の中で初めての男の子が生まれた場合に、その子の成長を祝福するものであり、親族知人が大勢集まって大ヨーズを作り、その子の成長をお祈りするものであるとされている。

男の子が小さい時は冬空に凧をあげてよく遊び、遊びに夢中で我を忘れて飛び回ってこそ健康な日本男児だとされていた。そして、健康でこそ勉強もよくできるようになると言われていたのだ。
さらに、ヨーズの絵は「鬼かき」と言い、鬼の面を書いたものである。その絵を玄関や入り口に飾れば悪事災難は免れる。お店にあれば商売繁盛となる。そして家にあれば男女を問わず子供の勉強がよくできるようになり、明るく元気な子にもなると言い伝えられている。
起源には色々と諸説はあるが、鬼ヨーズ(揚子)は見島ではとにかくおめでたいものである。なお、日本全国に凧の種類は数百あるが、見島凧に限りヨーズと呼んでいる。

ヨーズの糸についても糸とは言わずメイマ(迷魔)と呼ばれている。字のごとくヨーズが空高くどこまでも魔に迷わず子供の将来やその成長をお祈りするものである。

工程

1.和紙に鬼の下絵を描く


2.ヘコ(紅白の縞の尾)を作る
3.ミミを作る
4.涙(鬼の目の部分につける、紙の房のこと)をつくる
5.鬼の顔を描いた和紙の裏に骨をはる


6.ミミを鬼の顔の左右上部にはる
7.ヘコを鬼の顔の下部にはる
8.鬼の目部分に、涙をつける
9.横骨2本に弓ズルをつける
10.糸をつける

多田一馬氏

今回、鬼ヨーズを作られている多田一馬氏の自宅に伺い話を聞くことができた。
多田氏は昭和23年(1948)2月7日に多田家の三人兄弟の長男として見島に生まれた。当時の見島は現在より人が何倍も多く、お正月には島中の子供が一斉に凧をあげ、島のいたるとことに凧が揚がっているのが印象的だったそうだ。

小さい頃は凧を揚げて遊ぶことも多かったそうだが、それ以外には海でウニ採取したり、田んぼでウシガエルを捕まえてお小遣い稼ぎもしていた。とにかく見島は自然に恵まれていて、色々な遊びをして元気に成長してきた。
多田氏が色々な遊びをしている時から、作業場では多田氏の祖父である多田源水氏が毎日毎日鬼ヨーズを作っていた。

中学校まで見島にいた多田氏は、卒業してからは鬼ヨーズの色ぬりを手伝っていた。同じ場所では、父親が竹ひごを削ったりする仕事をしていたそうだ。
しかし、多田氏は鬼ヨーズの仕事だけでなく、他の仕事も掛け持ちで始めるようになる。島の中での建設関係の仕事をしたり、時には島から出て工務店などで建築の仕事などもしていたそうだ。

その後、昭和46年に結婚をし、それを機に見島で仕事を続けることになった。

鬼ヨーズ(揚子)作りでの苦労

鬼ヨーズ(揚子)を作る時、どこが1番大変で苦労する部分なのか聞いてみたところ、筆がぶれてしまうのがとても大変だと教えてくれた。黒い墨を使って下絵を描く際、線を一筆で描く必要があり、この時点で筆がブレて歪んてしまうとやり直しになってしまうそうだ。

また、描いている鬼の絵の中では鼻の部分に1番気を遣うとのこと。鼻がヨーズの1番中心にあるため、とても目立つ。この鼻の部分が綺麗に力強く描けないと全体が一気にダラけてしまう。描く人それぞれに鬼の絵に特徴があり、威厳もあり凛々しくもあり優しさも含んだ鬼を描くのはとても大変で気合いが必要だと多田氏は語ってくれた。

鬼の目にも涙

鬼ヨーズをよく見てみると気付くが、目の部分には泪に見立てた紙があるのが分かる。男の子は鬼の流す泪を見ることで情け深い子供に成長するのだと伝えられる。また、鬼はとても強いがその中にも人情があり、それを表す為の泪とも言われている。

鬼ヨーズを広める為の取り組み

多田氏は現在でも鬼ヨーズを広めるため、鬼ヨーズの魅力を知ってもらう為に島を離れて活動なども行なっている。最近では、福島県の子供が山口県にきた際に訪問し、鬼ヨーズとは何かという部分から、実際に鬼ヨーズ作り体験もさせている。全部を作ってもらうのはさすがに難しいので、最後の完成間近の部分を体験してもらっているそうだが、それだけでも子供達は自分で作った鬼ヨーズを外で揚げとても楽しんでくれるそうだ。

また、山口県の宇部に定期的に訪問し、見島で伝わっている鬼ヨーズを知ってもらう活動なども行なっている。そして、秋には見島で凧揚げ大会などもある為、集客にも協力している。

今後の鬼ヨーズ

長年、鬼ヨーズに携わってきた多田氏に、鬼ヨーズが今後どのようになって欲しいのか最後に聞いてみた。

見島では、鬼ヨーズが古くからの守り神で、昔も今も皆を守っている存在。島の外からも鬼ヨーズを欲しいという要望があり、昔その家族の長男の為に鬼ヨーズを送ったそうだ。そして数十年後、その方からの再度連絡があり「長男の時に鬼ヨーズがあったから長男が立派に成長した。その長男に子供ができたから、今度はその子にも鬼ヨーズを送ってあげたい」と親から子へ、そしてその孫へと、多田氏が気持ちを込めて作った鬼ヨーズがしっかりと家族を守り、その家がが発展していっている。
島で鬼ヨーズは愛されているので、今後も鬼ヨーズの作り手を絶やさずに残していきたい。そして、守り神である鬼ヨーズがこれからもずっと皆の家族を守っていって欲しいと語ってくれた。

山口県萩市見島
〒758-0701 山口県萩市見島
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