伊予提灯とは
まず伊予提灯とは何かを説明する前に、愛媛県西条市に伝わるお祭り「西条祭り」を先に説明した方が、伊予提灯の役割に関して理解が深まると思う。
西条祭りは江戸時代(1603-1868年)から続く、愛媛県西条市の伝統的な祭りで毎年10月中旬に行われいる。市内の各地区にある約150台の屋台(だんじり、御輿、太鼓台)が奉納され、その数は日本一ともいわれている。西条に住んでいる多くの人が祭りに参加するため、祭りの期間中は地元企業や学校が休みになったり、県外に住んでいる西条出身者も仕事を休み帰省したりするほど、西条で生まれ育った人の心に強く根付いている祭りだ。屋台には細工を凝らしたものが多く、その中に伊予提灯工房の提灯が使われている。屋台にたくさんの提灯が吊るされ、屋台が揺れる度に提灯の蝋燭の灯りが幻想的な雰囲気を奏でる。
祭りの脇役である提灯には昔ながらの素材が多く、提灯の形を作る骨掛けから和紙張り、提灯の顔にもなる文字や図柄を描き込む等のすべての工程を手作業で行い、1つ1つ丁寧に作っている。今回取材した伊予提灯工房は、文字を書く墨にまでこだわっている。墨についてはあまり知られていないが、墨の主成分は煤(すす)と膠(にかわ)である。煤は松の木を燃やしたものなどで、その煤に牛や豚などの動物の骨や皮のコラーゲンから取った膠を加えて墨ができている。膠には煤の粒子同士をくっつけて形を保つ役割や、煤を紙の繊維に接着させる役目を果たしている。膠は動物性のものであるため暑さに弱く、とても腐りやすい。黒い絵の具や墨汁ではなく、原料を仕入れて丁寧に作られた昔ながらの墨で文字や図柄を描いた提灯は、丈夫で長持ちする。(写真は墨の原料である削り墨)
提灯の工程
①木型組み
木型を組み合わせて火袋(提灯の和紙でできている部分)の形の土台を作る。提灯の大きさ、形によってそれぞれ違った木型を使う。
②骨掛け
木型に合わせて骨になる材料を巻く。骨の材料は昔ながらの竹(竹ひご等)や紙を巻いたワイヤー等を使うが、提灯の大きさ、提灯を使う用途によって使い分ける。この作業で提灯の形が決まる。
③糸掛け
提灯の形が崩れるのを防ぐために、糸を骨に巻きつけ固定する。これも提灯の大きさや提灯の使う用途によって糸の太さや糸掛けの方法を換える。
④和紙張り
木型に巻いた骨に、刷毛で糊を塗り和紙を張っていく。和紙も骨掛け糸張り同様、提灯の大きさや提灯の使う用途によって和紙の厚さ、和紙の種類を換える。提灯は一枚の和紙で張っているよう様に見えるが糸目にあわせて分割して張っている。どの提灯も一枚の紙で張ったように美しく仕上げていく。
⑤木型を外す
和紙張りを終えた火袋は、木型を入れたまま糊が乾くまで乾燥させる。乾燥後火袋から木型を外す。
⑥裏和紙を張る
提灯を使う用途によって、火袋の裏側に補強用の裏和紙を張る。裏和紙を張ることで提灯が破れたり形が崩れるのを軽減することができる。
⑦文字描き・絵入れ・紋入れ
火袋に文字や図柄を全て手書きで描く。火袋には骨の凸凹があるため、文字も一筆書きで描くのではなく絵のように描いて行く。
⑧火袋を畳む
火袋に文字や図柄全て描き終えた後、火袋が畳めるように折り目を付けていく。折り目を付けることで火袋が綺麗に畳めるようになる。
⑨火袋の油引き
屋外で雨や夜露にあたる提灯には防水対策として、亜麻仁油や桐油等を混合した提灯専用の油を作り、刷毛で火袋に薄く塗る。油を塗ることで和紙に透明感が生まれ、あかりを灯した際に明るく感じられる。
⑩油引き後の乾燥
油引きをした火袋は、天日にて自然乾燥させる。天候や気温、湿度によって乾燥させる日数を変えている。
提灯の組み立てと仕上げ
火袋完成後、提灯の形に組み立てる。上下の黒い側(化粧輪)を火袋に取り付ける。
提灯を組み立てた後、提灯の使う用途に合わせて最終調整を行い提灯は完成となる。
日野氏に関して
今回取材したのは伊予提灯工房代表の日野徹氏。1963年8月12日に愛媛県西条市で生まれ、三人兄弟の三男。高校を卒業したのちに、就職の為に東京へと行くことになる。就職したのは富士通(株)で、27歳までシステムエンジニアとして仕事をしていた。その後はフリーランスとして、大手企業を相手に仕事をしてきたという経歴の持ち主だ。そして東京にいる間、頭の片隅で東京は一生居る場所ではないとぼんやりと思っていたという。
子供の頃に観た西条祭り
地域に根付く西条祭りが日野氏にとってどのような存在なのかを聞いてみた。
日野氏自身、物心つく前から父親に祭りに連れていかれていたそうだ。小さい頃の記憶だと、祭りの時期になると周囲の人達が浮き足立ちはじめて、町全体がお祭りを楽しみにしている雰囲気が漂っていたそう。そして、そんな日野氏も西条祭りの時期が大好きだった。
祭りの2日間は、夜中の0時から始まり夜の22時までほぼ寝ずの祭り。夜はずっと提灯にあかりが灯され、その光景は小さい時からすごい綺麗だと感じていた。それもそのはず、1台のだんじりや神輿には提灯が100個以上も付いているのだ。屋台の数は130台以上。つまり約13000個以上もの蝋燭の灯りが屋台の動きと共にゆらゆらと煌めいているのだから納得だ。それを観ていた日野氏は子供心に「西条祭りは日本一の祭りだな」と思っていた。
伊予提灯を作ろうと思ったきっかけ
西条祭りが終わると壊れた提灯を修理に出す為に各地区の担当者が提灯屋に持って行く。日野氏の兄もその役をしていた。ある時一度だけ兄に連れられ愛媛県松山市にある提灯屋に行く機会があった。80歳代の夫婦が提灯の修理をしていた。
その帰り道、兄にこう言われたそうだ。「提灯屋さんに毎回、今年は直せるけど来年は難しいかもしれないと言われる」と。職人の高齢化が進み、提灯を直すことが年々難しくなっていた。
これが日野氏の30歳代前半の出来事。後から考えると、このことが頭の片隅に残っていたという。
再度、伊予提灯を作ろうと思うきっかけがくる
富士通(株)を27歳で退社した時、今までとまったく違う事をやってみたくて、何をしたいのか見つけるために、まずは好きな事をただただしていた時期もあったそうだ。しかし半年もすると蓄えが底をつき、実家に帰るだけのお金しか残っていなかった。そんなエピソードも笑いながら話してくれた。ある時、前職時代にいっしょに仕事をした協力会社から声がかかり、再びコンピュータの仕事をする事になるが、40歳迄には違う事をしたい気持ちは残っていたという。しかし40歳で結婚、その後、日立コンサルティング(株)に入社、再びサラリーマンに戻る。
日野氏が45歳の時、父親が大病を患ってしまう。残念なことに病気になってしまってから亡くなられてしまうまでの時間が短かった。父親は家族を守るためだけに毎日毎日一生懸命仕事した方だったそう。そんな最期を見た時、人生はあっという間、今のままでいいのか…と思うようになった。
提灯作りを学ぶ
父親の大病がきっかけとなり、再び違う事をしたい気持ちが大きくなる。日野氏の心の支えでもあった父親が他界し、田舎に帰ることを決める。父親と同様、西条祭りが大好きな日野氏は祭りに携わる事ができないか考えていた時、30歳代前の提灯屋に行った出来事を思い出すが、この歳で提灯職人になれるのか悩んでいた。そんな中、40歳で提灯職人になった方がいることを知る。すぐにその方に連絡し自分の想いを伝えたところ、「本気でやろうと思うのならいくつになっても挑戦できる」と言ってくれた言葉に勇気をもらい、前に歩き始めることができたそうだ。
その後本格的に提灯作りを学びたいと松山市の提灯屋を再び訪ねる。なんとその提灯屋は、息子さんが後を次いで提灯を制作し続けていた。そして提灯職人になりたい事、できることなら西条祭りを支えて行きたい事などを真剣に話しをすると、息子さんから「自分も歳だからいつまで提灯を作れるかわからない、跡継ぎもいないから教えてやる」と言ってくださったそうだ。
提灯作りを始めてから、提灯作りは和紙を張って火袋(提灯の和紙でできている部分)を作る仕事と、火袋に文字や図柄を描いて提灯を仕上げる仕事があり、ほとんどが分業化していることを知る。教えてもらう予定のその息子さんは一人でやっていたので、火袋に文字や図柄を描いて提灯を仕上げる仕事だけしていた。火袋を張る部分の作業を教えてもらう為に京都のお店に習いに行く話が出たが、残念ながら良い返事がもらえなかったそうだ。
そして、火袋を張る部分を教えてくれるところを新たに探すことになる。四国4県の提灯屋に片っ端からあたってみたが見つからない。そんな中で、徳島県に提灯屋が何件もある事を知る。徳島市には有名な祭り「阿波踊り」があり、多くの提灯が使われていた。
店の名前に「・・・提灯製作所」と付いている店を見つける。ここなら火袋を張るところから作っていると思い、お店に行って直接お願いすることに。お店には70歳代の男性が火袋を張っていた。日野氏は今までの経緯、祭りが大好きで提灯職人にどうしてもなりたいと、想いの全てを話したそうだ。後から考えると、ここで断られたら次は無いと、無我夢中だったそうだ。
しかし返事は、「教えられない。ただ息子がもう少しで帰ってくるから聞いてみろ」だった。日野氏は息子さんの帰りを待ち続けた。だが帰ってきた息子さんからも提灯作りを教える事はできないときっぱりと断られてしまう。
日野氏は諦めて帰ろうとした時息子さんから「せっかく遠くから訪ねてきてくれたのだから、提灯作りを見ていくか」と、とても親切に職人技を見せて下さったそうだ。
その後、何度も徳島に通い、提灯作りを見せてもらうところから教えてもらえるようになる。何度も試作品を作り、アドバイスをもらい、火袋を作れるようになった。
そんな経緯があり、提灯の火袋を作る過程を徳島県徳島市の提灯屋で、火袋に文字や図柄を描いて仕上げる過程を愛媛県松山市の提灯屋で学ぶことができたそうだ。
提灯を作って、始めてよかったと感じた瞬間
日野氏が今でも忘れられない出来事を話してくれた。
それは日野氏が伊予提灯工房を立ち上げようと思った2010年の夏。2010年8月5日、西条祭り2ヶ月前の事だ。
暑い夏の朝、だんじりが保管している地区の集会場が漏電で火事になり全焼。現場でだんじりも燃えてしまったと聞く。その瞬間日野氏は、提灯職人になることを諦めるしかないと思ったそうだ。自分が作った提灯を一番に付けてもらいたいのは、子供の頃からいっしょに祭りをした大好きな地区のだんじりだったからだ。頭を抱えてしまうほどの衝撃だったそうだ。その後だんじり本体だけは青年団が命がけで救い出した事を知る。だが、太鼓、担き棒、提灯等その他のほとんどが燃えてしまったのだ。さすがに今年の西条祭りは無理と話が出たが、青年団からどうしても祭りをしたいという声が上がり、全員でなんとかしようと一致団結。地区の住民全員で協力し、西条祭りまでに自分たちの屋台を完全復活させようと力を合わせて頑張ったという。日野氏も、大好きな祭りの為に残り2ヶ月で約120個の提灯を寝る間も惜しんでなんとか完成させた。
祭りの当日、だんじりもだんじりに吊す提灯も全てが間に合うことができた。自分が作った提灯に火が灯された瞬間、涙が零れるほど嬉しかった事、今でも忘れないと語ってくれた。残念だったのは、もう少し早く提灯職人になっていたら、父親も観て喜んでくれたのに…。
その時の写真は今でも伊予提灯工房の日野氏の名刺に載っている。
今後の伊予提灯工房
最後にこれからの伊予提灯工房に対しての、課題や展望を語ってもらった。
1つ目は提灯に対する認識の開拓だ。
提灯は消耗品だと思われている方が多い。和紙でできているし、西条祭りは蝋燭を使うため燃えてしまうこともあり、そう思われている方も多いそうだ。
しかし、昔ながらのしっかりした作りの提灯はそんなことはないと日野氏は言う。事実、西条祭りの提灯は、3年~5年で壊れると言われているが、伊予提灯工房の提灯は7年以上、なかには10年使われている提灯もある。
提灯は祭りの脇役ではあるが、屋台同様大事な祭りの道具だと思ってほしい。大事な道具だと思ってもらうだけで提灯の扱いも変わり、今まで以上に長く使えるという。
2つ目は、どの職人にも同じ悩みがあると思うが、後継者の問題だ。
日野氏は提灯屋になるため、100年以上続く2つの提灯屋から提灯作りを教わることができた。さらに多くの方に助けてもらい提灯屋を続けていくことができていると話す。
その教わった技術やお世話になった方への感謝の気持ちを後世に引き継ぎたいと強く思っている。
今は夫婦二人で一年かけて提灯を制作しているが、どちらかが倒れた場合、お客様にご迷惑をおかけすることにもなるため、提灯作りの技術を伝え、その中から後継者が現れてほしいと話していた。
そのためには超えないとならない課題もある。それは提灯の価格だ。西条祭りの提灯の価格は全国レベルで見るととても安価。事実西条祭りの提灯だけでは店を続けるのが難しいそうだ。
西条祭りの運営費の中で提灯代金は大きな部分を占めていると聞くと、価格を上げるのも難しい。コストを下げるため材料代や手間を省くことも考えてしまったことがあったが、教えて頂いた提灯屋から最初に言われた言葉が「お客様に迷惑をかけるような提灯を作るのなら、提灯作りは教えられない。」は何が何でも守らないと、お世話になった皆様にもご迷惑をかかる事にもなる。
伊予提灯工房ができることは、今までと同じく丈夫で長持ちする提灯を作ること。先ほどもお話ししたが、3年~5年で壊れていた提灯をプラス2年3年と使えるようにする。例えば提灯の修理が毎年20個あったとする。それを15個、10個と減らすことができれば毎年かかっている費用が下がり、西条祭りを支えていくお手伝いが少しでもできる。事実、一度伊予提灯工房の提灯にすると、それからは修理に出す回数が減り、結果的には費用が抑えられたと嬉しい声が届いているという。
日々材料代が高騰している現在、それに見合った提灯価格になるよう、将来は西条祭りの提灯だけで店が成り立つようにできれば、後継者に安心して引き継ぎができれると話す。
今後に展望は、祭りの提灯だけでなく、ご結婚祝いやお子様の誕生等のプレゼント用の提灯を作り、提灯をもっと身近なものにして提灯文化を広げて行きたいと話していた。
西条祭りを盛り上げていきたい気持ちも大きく、地域の小学生の学習の一環で提灯に筆で文字や絵を描いてもらったりもしているそうだ。
小学生だけでなく中学生や高校生、また西条市に旅行に来られた方などにも提灯作りを見てもらえればと思っている。
新しい挑戦として、和紙を使った灯りにも力を入れている。
日本には素敵な和紙が全国のあちこちにある。和紙を通して見る灯りはとても柔らかく、心地がいい。部屋の中に1つ和紙の灯りがあれば、忙しい生活の中に一息付ける空間ができるのでとてもいいと日野氏は言う。海外の方にも和紙の魅力が広まっているので、灯りとして楽しんでもらいたい。
提灯と同様、伊予提灯工房でしか作れない世界で一つの灯りを作っていきたいそうだ。
(有)伊予提灯工房
愛媛県西条市福武甲796-3
Tel : 090-1000-0311
営業時間:午前10時〜午後6時
定休日:不定休
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