鳥取県の境港市は、白砂青松が続く風光明媚な場所である。著名な漫画家の水木しげるの出身地でもあり、街の至る所にゲゲゲの鬼太郎のキャラクターが見られ、人気の観光地として有名だ。
その境港市がある弓ヶ浜半島に古くから伝わるのが今回紹介する「弓浜絣(ゆみはまがすり)」。
普通に生活してると「絣」という言葉は聞き慣れないと思う。
絣とは織物の技法の一つであり、前もって染め分けた糸(絣系)を経糸(たていと)、緯糸(よこいと)に使用して織り文様を創っていくものである。
ちなみに、織物の言葉で「絣」と「紬」という言葉があり混同されがちだが、簡単に意味を定義すると絣は柄を指していて、紬は生地を指していると考えてもらうと分かりやすい。
弓浜絣の特徴と歴史
弓浜絣の特徴と歴史は、今回取材した「弓浜絣工房b」に分かりやすくまとまっているので引用する。弓浜絣は江戸時代中頃より、鳥取県西部の農家の女性たちが家族を想い心を込めて織った木綿の絣織物です。 1975年には国の伝統的工芸品に、1978年には鳥取県無形文化財に指定されています。 弓浜絣の「弓浜」は、弓ヶ浜半島と呼ばれる鳥取県境港市から米子市にかけて約20㎞に及ぶ弓状に湾曲した沿岸の名称に由来し、「絣」はあらかじめ染め分けた糸を用いて図柄を織る技法を言います。 農民の自給用衣料に端を発しているだけに、素朴な絵柄と丈夫であたたかみのある風合いが特徴です。 腰が曲がるまでと長生きを願った海老柄の着物、男児の誕生に強く育つよう鷹や虎柄の布団、と家族の幸せを願う想いが、藍地に白抜きの絵画的な美しい曲線で表現されています。 また、文明開化の文字を図案化したものや戦時中には大砲柄と、その時代や世相をうかがい知ることもでき、多種多様な絵柄は今に伝わるものだけでも数百種類に及びます。 深い藍色に染めた布地は、洗えば洗うほど色が冴え肌触りもやわらかくなっていくため、耐久性に富み長く愛用することができます。
弓浜絣の制作工程
- 種繰り 収穫した綿は種と綿が混在しているため、綿繰り機を使い種を取り綿だけにする。
- 糸つむぎ 綿を糸車で紡いでいく。ふわふわの綿がこの工程を経て糸になっていく。弓浜絣工房bでは、均一で丈夫ながら手紡ぎの柔らかさを感じられる糸を目指している。
- 製図 模様を図案化する工程。伝統的な鶴亀松竹梅などは、模様が書かれている図案集などがある。現代的な新柄は自分達で新しく製図する必要がある。
- 種糸 張った糸に図案化した模様を写す。これが括りの元となる。
- 括り 種糸に沿って糸を括る。括った糸を染色することで、括った部分は白く残るため、織りの段階で柄が現れる。
- 染め 藍染めをする。
- 縦糸準備 整経・綜絖通し・筬通し等さまざまな工程を経て経糸を織り機にかける。
- 織り 染めた糸を織り機で織る。着物一反分を織るためには、織り工程だけで2週間程かかる。
佛坂香奈子氏
佛坂氏は1984年5月14日に境港市で次女として生まれる。 姉の影響で、姉がやっていた事はなんでもやってみようと小さい頃は野球、習字、ピアノ、ミニバスケット、水泳など色々やっていたそうだ。 美しい文様が魅力的な弓浜絣が作られている境港で育った佛坂氏にとっては、当たり前に弓浜絣が身近にあった。家の中のちょっとした物が弓浜絣だったりと、小さい頃は気にしていなかった物が大人になってからは意識して目にするようになった。この当時は、将来は自分で弓浜絣の工房を持とうという気持ちは全くなかったそうだ。では、どのようなきっかけで工房を構えるようになったのだろうか。 高校を卒業した佛坂氏は、日本で唯一の感性工学科がある長野県の信州大学に進学する。この感性工学科が所属しているのが繊維学部であるのも惹かれた要因だったそうだ。そして、日本でここだけしかない学部は「心のしくみを知り、心のかたちを学び、心の喜ぶモノを創る」を理念としている。 感性という数値化出来ない人間特有の能力を工学と結びつけて学ぶ4年間は、非常に楽しく有意義だったそうだ。 ちなみに、鳥取県から長野県に進学する友達は周りに1人もいなく、当然だが最初は知らない人だらけだった。けれども早い時期から周囲に馴染んで、友達もたくさんできて長野に行ってよかったと楽しそうに話してくれた。 感性工学を学んでいるかたわら、アルバイトは本屋と飲食店だった。本屋ではファッション系の雑誌や本をよく読み、最新のトレンドや新しいファッションスタイルなどを感度高く吸収していた。 長野での楽しい学生生活も終盤、就職活動の時期が訪れる。本当に少しだけ就職活動をした佛坂氏は、自分には就職活動や就職というのものが合わないと判断し、早々に就職活動を終えてしまう。大学院を受けていて、大学院でさらに勉強をしようと思っていたそうだ。 そんな時に友人から東京の文化服装学院のことを教えてもらう。 文化服装学院には服飾研究科というものがあり、一般の学生が複数年かけて卒業する内容を、一年間で学べるコースが用意されている。佛坂氏は長野から東京に移動し、さらに専門的な勉強を始める事になった。 複数年かけて卒業する内容を一年間で終わらせるため課題の量もとても多く、毎晩毎晩課題に追われていたそうだ。アルバイトする時間もなく、学校に行っては課題が出され、翌日にはその課題を提出するなど、相当大変だったことが分かる。 そんな忙しい日々も、その年の夏に実家に帰省したことによって急に終わることになる。後継者養成研修
夏休みに鳥取に帰省した際、弓浜絣の後継者養成研修があることを知る。 服飾を得意としてたため面接を受けてみたところ、本人も驚くことに受かってしまったそうだ。その時点で8月のお盆の時期、研修開始は9月からという状態。数日間で研修に参加するかどうかだった佛坂氏は、後継者養成研修を3年間受けることになる。 この研修は弓浜絣の後継者を育成するために、この年から始まった制度だ。研修者は佛坂氏を含めて全部で3人。 毎日9時から研修が開始され17時まで弓浜絣に関する色々なことを学ぶ。 3年目には実際に自分で作った物を販売したり、独立した時にどのように販売をしていくのかといったプログラムが組まれているそうだ。 一番最初に自分で作った弓浜絣が売れた時のことを覚えていますかと質問したところ、佛坂氏からは明確に覚えているという答えが返ってきた。 最初に売れたのは茶綿のストールだったそうだ。当時は自分の作品に自信がなかったことから、これを売ってしまっていいのかという気持ちもあったそうだ。買ってくれても付き合いで買ってくれたのではないか…と思ってしまうほど。 しかし技術に関して妥協せず、しっかりとした弓浜絣を作っていくことで、今では自信を持って販売するまでになった。 20代の時は頻繁に出張し、色々な催事に商品を持っていっていたそうだ。自分で作ったものを自分の手で販売し、この年代の人にはこんな商品を作ったらいいのではないかという仮説も生まれ、それを検証しながら自分にしか出来ない作品を作り上げてきた。最後に
佛坂氏に今後の弓浜絣と、弓浜絣工房bに関して質問してみた。 今後は大衆に売れるものを作るのではなく、こういうのが欲しかったんだという潜在的に求められている物を作り出していきたいそうだ。 最近では自分が作りたいものと、人が求めているものの中間暗いのを作れるようになってきたと教えてくれた。 伝統的な文様ではなく、メガネの文様や人気アニメキャラクターの文様など、現代にマッチしつつも伝統的な織り方は踏襲した革新的な弓浜絣を制作しているのが分かる。 ただ織るだけではなく綿から自分で栽培しているため、綿を使った新商品開発なども今後は考えているそうだ。 後継者養成研修で一緒だった他の2人も今なお弓浜絣を作っており、それぞれ伝統工芸の伝承者として活躍している。自分1人だけが頑張っているのではなく仲間も頑張っているので、そこからもいい刺激をもらっているとのことだ。弓浜絣工房B
〒684-0041 鳥取県境港市中野町5473
TEL:0859-21-5939
営業時間:10:00~17:00
定休日:HPよりご確認ください https://kouboub.jp/