SHOKUNIN

たくさん筆が並んでいても、自社の筆を見分けられる。代々受け継いだ質の高い筆作りを後世に残していく、三村氏の思い

広島県/Hiroshima

熊野筆は、日本で最も有名な筆です。そして広島県熊野町は日本最大の筆の産地であり、全国の生産量の80%以上を占めることから「筆の都」と呼ばれることもあります。主に毛筆(書道)、画筆、そして化粧筆が製造されており、中でも化粧筆はハリウッド女優のメイクアップにも使われていることで世界から注目を浴びています。

熊野筆の歴史

18世紀の末ごろ、広島県熊野は平地が少なく農業だけでは生活が苦しいため、現在の奈良県周辺から筆や墨を仕入れて売っていました。それがきっかけとなり筆・墨の販売先が広がり、本格的に筆作りの技術習得を目指すことになったそうです。そして、その先駆者となったのが当時筆作りが進んでいた奈良や兵庫県の有馬で技術を習った若い村人達でした。また、当時の藩主浅野氏の筆司からも技術を継承し広島の筆作りとして熊野町で発展し、新たな熊野筆という技術が確立しました。
その後、村民の熱意と努力により筆作りの技が根付き、1872年に学校制度ができて日本の学校教育で習字があったため筆が使われるようになってきました。
第二次世界大戦後、習字教育の廃止により毛筆の生産量が落ち込んだ時期もありましたが、1950年頃から画筆や化粧筆の生産も始まりました。現在では毛筆、画筆、化粧筆のいずれも全国生産の80%以上を占めると言われるまでに発展しています。

熊野筆の生産工程

筆作りはいわゆる毛の部分である穂首作りと持ち手となる軸作りの工程に分けられます。それぞれの工程を簡単に紹介します。


■穂首作り
1.選毛・毛組み
筆作りは、毛の選別作業から始まります。材料を選び、筆先の使う場所に応じて長さや質を揃えます。


羊毛を一房ずつ手に取り、選別します。確実に素材を見分けられるようになるには、数十年の経験が必要だといわれる、大変緻密な作業です。大筆、中筆、小筆、穂先の長短など、造る筆の種類にあわせて材料を組み合わせます。

2.火のし・毛揉み
選別された毛は、「毛揉み」と呼ばれる工程に入ります。毛揉みは、動物の毛に含まれる脂肪分や汚れを取り除き、毛の質を整えます。墨の含みを良くするための重要な工程です。
毛は、一定の長さに切り揃え、籾殻(もみがら)の灰をまぶします。これに、熱した「火熄斗」(ひのし)を当てます。火熄斗をあてる時間や温度は、毛の種類によって微妙に調整されます。
火熄斗された毛を素早く鹿皮に巻き、 毛を折らないように注意しながら丹念に揉み込みます。熱を含ませ、揉み解すことで脂肪分や汚れを取り除きます。

3.毛そろえ
櫛抜きして綿毛(わたげ)を取り除いたあと、少量ずつ毛を積み重ね毛をそろえていきます。 何度も金櫛をかけて、毛の質を整えていきます。

4.逆毛、すれ毛取り
毛先を完全にそろえ、半差し(小刀)で逆毛、すれ毛等を指先の感触を働かせながら抜き取ります。良い毛だけを徹底的に選り抜きます。

5.寸切り
筆の穂先は、5つの部分に分かれています。毛先の「命毛」、その下の「のど」 中程の「肩」、根元に近い「腹」そして、一番根元の「腰」です。寸切りは、この5つの場所に応じて毛の寸法を整える作業です。それぞれの部位の寸法を取った寸木を乗せ、毛先を基準にして切りそろえます。切目が正確に揃うよう、何度も確認しながら徐々に整えていきます。このようにして部分毎に整えられた材料の毛は、塊(くれ)と呼ばれるかたまりにします。

6.練り混ぜ
練り混ぜは、水に浸し、毛組みにむらができないよう整える作業です。塊を分解し、毛をうすく伸ばし、幾度も折り返して混ぜ合わせます。 逆毛などを取り除き、切り揃えて櫛を通します。質を吟味された毛は、布海苔(ふのり)で固め、平目にまとめます。

7.芯立て
芯立ては、練り混ぜした平目を1本分の大きさに分け、筆の形を作って行く工程です。平目から割った芯を駒と呼ばれる芯立て筒に通し、筆の形を作っていきます。手の感触を頼りに、不必要な毛を抜き取ります。


8.衣毛巻き
穂首の芯の周りに巻きつけられる毛を衣毛という。衣毛には芯に使われるものより上質なものが使われます。練り混ぜ、平目という芯になる毛と同じ工程を経て整えられた衣毛を、芯毛に巻き付けていきます。万遍なく巻く衣毛を巻くには、特に高度な技術が必要です。奇麗に衣毛が巻かれた穂首は、自然乾燥させます。乾燥した穂首の根元を麻糸でくくります。

9.糸締め
糸の結び目を焼きこてをあて、固めると穂首の完成です。

仕上げ

10.くり込み
筆管(ひっかん)に穂首をすえつける工程が、くり込みです。筆管は、桜や竹から作られています。くり込み台の上で筆管の軸を回転させ、穂首は入りやすいように内側を均等に削ります。

11.仕上げ
穂首の寿命を保つために、糊固めをします。叩き付けるようにして糊を穂先に充分含ませます。不必要な糊は、糸かけで取り除きます。麻糸を穂首に巻きつけて、軸を回しながら糊をしぼり取ります。


12.銘彫刻
充分に自然乾燥された筆には、工房ごとに銘が刻まれ、完成を迎えます。

文宏堂と三村泰子氏に関して

ここからは、三村泰子氏が運営する株式会社文宏堂と三村泰子氏についてです。


株式会社文宏堂は明治40年(1907)年に創業した、熊野筆を制作している企業です。現在、熊野の筆製造会社は130社程ありますが、文宏堂は大正九年に有限責任熊野製筆株式会社として、熊野において最初に会社組織となりました。昭和63年(1988年)に社名を株式会社文宏堂とし、今日でも伝統を守りながら筆の品質向上や日本文化の継承に日々努力している会社です。そして三村泰子氏は文宏堂の4代目として、熊野筆を継承すべく、事業に取り組んでいます。

熊野筆と生きてきた三村泰子氏に、熊野筆がどのように繁栄し、今どのようになっているのかも聞いてみました。

現在、熊野筆を制作するのは女性の方が多く、約8割くらいが女性の手によって作られています。昔、熊野筆は書道筆の制作を主軸としていましたが、時代と共に画筆や化粧筆も作られるようになってきました。熊野筆を知っている人の中には、熊野筆=化粧筆という認識の方もいるかもしれませんが、それはつい最近になってからの事です。化粧筆が有名になったのは、ハリウッドのメイクアップアーティストが熊野筆を使ったのがきっかけだと言われています。

次に、現代の生産量などに関しても話を聞けました。昔は学校で書道の授業などがあり、とにかく大量の書道筆や画筆を作る必要がありました。多くの学生が授業で使うため、安い筆を多く生産していたそうです。ただ、今は子供が少なくなり、授業でもあまり筆が使われないようになってしまった為、大量生産ではなく質の良い筆をしっかり作る体制に変わってきました。結果、大量生産ではなく高品質のものをしっかり作れるようになり、熊野筆の質が維持できているそうです。


そんな高品質な熊野筆を一本一本しっかりと作り販売している三村泰子氏に、どんな時に喜びを感じるのかを聞いてみました。しっかりと心を込めて作った熊野筆が売れた時はもちろん嬉しいけど、一度購入した人が再度購入してくれた時が1番喜びを感じるとのこと。実際に筆を使ってみて、その書き心地を感じてもらい、この筆が良いとリピートしてくれる時が自分の会社の筆を認められた証になる。そのために、同じ書き味にあるように品質を変えないように日々努力しているとのことでした。

ちなみに、店頭に並んでいる筆を見て、自分達が作った筆だというのもすぐ分かると三村泰子氏は教えてくれました。筆の毛質や仕上がり、姿をみて自分が作った製品はわかるそうです。

最後に後継者に関しても聞いてみました。
現在、文宏堂には20代の方も一生懸命に筆を作っているそうです。最近は熊野出身の方が熊野に戻ってきて熊野筆を作る仕事に就くことも多いそう。まだ、海外の方が入社したことはないですが、もし熊野筆に興味があってちゃんと後世に残したいと真剣に考えている方であれば嬉しいとも話していました。

三村泰子氏から

熊野筆作りは、熊野町に住む女性の仕事の一つとして選ばれ、生活の中に自然と筆作りがあります。また、近年は手に職を持つことへの興味から応募される方も増えてきました。筆作りはほとんど手仕事なので人間の感覚が大事な部分が多いですが、先祖から培った技術を後世へ残せるように日々励みますと最後にメッセージをもらいました。

HP : http://www.bunkoudou.net/company

 

株式会社 文宏堂
〒731-4215 広島県安芸郡熊野町城之堀三丁目4-1
http://www.bunkoudou.net/company
※見学は行なっていません