SHOKUNIN

「日本にあった文化を大事に残して欲しい」山口県萩市で大漁旗という縁起物を継承する岩川氏

山口県/Yamaguchi

大漁旗とは

大漁旗(たいりょうばた)とは、漁へと出た漁船が、大漁で帰港する際に船上に掲げる旗のことだ。 デザインの多くは、海上からでもよく目立つよう、派手な色使いや大胆な構図で描かれることが多いのが特徴。
また、漁の時以外でも出産祝いや子供の初節句に飾り旗や祝い旗として飾ることもある。その多くが進水式という船舶を初めて水に触れさせる儀式の時に、親戚や関係者などから贈られ、寄贈者の名が入れられている。

大漁旗の歴史

日本には色々な習慣や儀式があるが、そもそも大漁旗はいつから始まったのだろうか。
大漁旗の歴史には諸説あり、11世紀頃に始まった船の所有者や乗り手などを示すために船上に掲げたしるしである船印(ふなじるし)に由来し、豊漁だった見返りに船主が漁師に贈った晴れ着である万祝(まいわい)の図柄を元に作られたという説がある。
次に南北朝時代(1336-1392年)の瀬戸内において、制海権を持っていた村上水軍が通行手形代わりに旗を掲げたのが始まりとする説もある。これはその場所に住んでいる漁民と、その海を通過する他の船を判別するため、漁民の旗と手形旗を異なる色にしたというものであるが、現在まで決め手となる有力な文献は出てきていないそうだ。

大漁旗の製作工程

1、下絵
生地に紅などで下絵を描く。紅とは紅花から取れる染料で、水やお湯などで簡単に消えるという特徴がある。岩川旗店では、描く線の太さによって道具の先端部分を変えている。

2、糊置
下絵を描き終えた生地を伸子と張手(張木)でシワなく張る。筒を使い、防染糊を置いていく。防染糊にはもち米、塩、石灰、米糠などが入っている。

3、色差し
糊が乾いたあと、刷毛で色をさしていく。色差しの順序はなるべく薄い色から染め始め、段々と濃い色を染めていく。ぼかし部分は薄い色を染め、乾く前に濃い色を乗せることで綺麗なぼかしが生まれる。

4、ベーキング(色止め)
色が完全に乾いた後、ベーキング処理を行う。このベーキングの工程がしっかりと行われていないと水洗作業で染めた部分が摩擦で落ちてしまうことがある。

5、水洗・乾燥
ぬるま湯に一晩浸けて、糊を溶かす。ブラシなどでこすりながら流水で完全に糊を落とし、天日で乾燥させる。糊があった部分は色が付かず、白色のラインが浮かぶようになる。

6、仕上げ
華やかにするために金、銀のラメ、そして家紋や名前をなどを入れる。

岩川旗店 岩川宗和氏

今回、岩川旗店の代表である岩川氏に話を聞くことができた。
岩川氏は1957年7月15日に萩で生まれる。高校までは萩で育つが、大学進学をきっかけに東京へ行くことになる。

大学では理工学部に入り建築に関する勉強をしていたそうだ。実は最初はデザインなどをやりたかったそうだが、課題などをやっていた際に、周りの学生と自分のデザインを見比べ「自分より才能がある人がたくさんいるなぁ…」と感じたそうだ。

東京に行くと遊んでしまう学生が多いイメージがあるが、岩川氏は実習や課題が多く、授業がとても忙しかったそうだ。真面目に毎日大学に通い、建築関係の知識などを身につけた学生時代だった。

大学卒業後は建築関係の会社に就職し、1年目で茨城に配属となる。茨城には3年ほど住んでいたそうだが、実家を継ごうと決意して萩に戻ってくることになる。

実家に戻ったとはいえ、今までの仕事と全く違う仕事をしなくてはならない。当たり前だが、知識も経験も技術も無い状態だ。そこで、昔に岩川旗店で働いていた職人さんが大分県で働いて、その方の紹介で長崎県の職人さんを紹介してもらったそうだ。大漁旗の技術を習得するために単身で長崎に行き、3年間修行して29歳の時に岩川旗店に戻ってきた。

当時は大漁旗の注文が多かったが、全てを祖父が仕切っていたために、値段などは全部が祖父の頭の中(気分や付き合いがあるかどうかで値段を決めていたそうだ)にしか入っていなかった。そのため、岩川氏は大漁旗の値決めをすることから始めることになる。

また、岩川旗店で昔から使っていた染料より、岩川氏が長崎で修行していた際に使っていた染料の方が当時では新しかったそうだ。そのため、祖父に何度も説明して、今使っている染料から新しい染料への更新などもしていった。

ちなみに、昔は電話で注文を受けていた為に、名前の聞き間違えなどもあったそうだ。注文を受けて一週間かけて作ってやっとお客様に渡す際になって名前の間違いを指摘され、そこから作り直すといったことも何度かあったそうだ。

大漁旗の需要が減ってくる

新しいものや技術を取り入れ、事業を伸ばそうとしていた岩川氏だが、2000年になる前くらいから大漁旗の需要が減ってきてしまう。昔は大漁旗を掲げる文化が根強くあったが、船の素材や大きさなども代わり、大漁旗を掲げなくなってしまったのが原因だ。

しかし、大漁旗を作る途中で生地を切断したりする際にでる余った部分を使い、小物などを製造するようになり、今では海外のかたや新しい形のギフトとしてお客様に支持されているそうだ。

これからの大漁旗

現代では大漁旗を掲げる機会が少なくなってしまったが、学校の校旗、市役所の市旗、法被など、染物という部分で注文を多く受けている岩川旗店。岩川氏は、やはり進水式などで自分が作った大漁旗は綺麗にはためいているのを見ると感動するそうだ。そして今後は息子さんがその役目を担うことになる。
大学の時まで旗などに興味がなかった息子さんだが、フィンランド留学をきっかけに実家の事業に少しずつ興味を持つようになったという。今までの技術などを習得しつつ、新しい取り組みを考えているそうだ。

現在ではインターネットで色々と調べて、海外の方がお店まで来るようになった。香港、中国、アメリカの方などが来店し、手ぬぐいやトートバックとかを購入する。

日本にあった文化を大事に残して欲しい

最後に岩川氏から、貴重な言葉をいただいた。大漁旗もそうだが、お正月、お雛様、端午の節句など、日本に昔からあった文化を大事に残して欲しいと。今の時代に沿って新しいことを取り入れるのは重要だが、それぞれのイベントなどは意味があって季節の変わり目や人生の節目にそれぞれ必要なイベントや文化だったはず。そういうのをこれからも大事にして欲しいと温かい目で語ってくれた。

岩川旗店
〒758-0026 山口県萩市大字古萩町40
Tel : 0838-22-0273
営業時間:平日9:00~18:00/土日10:00〜17:00
定休日:無休
HP:http://www.iwakawahataten.com/index.html