SHOKUNIN

土からできた作品には作り手の思いが必ず表れる 萩焼を創造している金子氏が大切にしている仕事論

山口県/Yamaguchi

萩焼とは

萩焼は本州最西部の山口県萩市で焼かれる陶器である。古くから「一楽、二萩、三唐津」と謳われるほど茶の湯を好む人々に支持されている器として知られ、細かい部分にまでこだわった質の高い陶器として根強い人気がある。

萩焼の特徴は独特のやわらかい風合いと、原料の陶土と釉薬(ゆうやく)が引き起こす貫入(かんにゅう)という細かいひび割れのような模様。使用している土が粗いために浸透性・保水性・保温性が高く、土と釉薬の収縮率の差によって表面に細かなひびが生まれる。

そして、長年萩焼を使用すると貫入の部分にお茶の成分などが染みこみ、風合いが変化していく。この現象を萩の七化け(はぎのななばけ)と呼び、枯れた味わいを見せるようになる。素地の色を生かすため、模様は地味だが根強いファンが多い。

萩焼は素朴なものが多く、絵付けなどの装飾はほとんどしない。土の配合、釉薬の掛け具合、刷毛目、焼成の炎によって生まれる偶然によって独特の風合いが生み出されている。色彩は土の色を生かした肌色や枇杷色、褐色、灰青色、白色などの限られたものが主流になっている。

使っている土

萩焼で使われている土は、主に見島土・金峯土・大道土の3つ。釉薬との相乗効果を考慮して、原土を調製・調合して作らている。

見島土
鉄分を多く含んだ赤黒色の土で、萩沖約45㎞にある見島で採取できる。
(三島に関して:山口県最北端の見島に古くから伝わる鬼ヨーズ(楊子)を現代に伝える多田氏の活動と意気込み)

金峯土
萩の東方の福栄村福井下金峯で採取される細かな砂質・カオリン質の白色土。粘性を抑え、耐火度を高める効果がある。

大道土
萩焼の主要原土で、防府市台道や山口市鋳銭司四辻一帯で採れる。鉄分が比較的少ない灰白色の粘土で、可塑性が高く、萩焼の基本的な風合いや性質はこの大道土によるもの。

萩焼の歴史

萩焼は、1604年に当時の藩主であった毛利輝元の命によって、朝鮮人陶工である李勺光(リシャッコウ)と李敬(リケイ)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされている。そのため、当初は朝鮮半島の高麗茶碗に似たいて、手法も形状も同じものだった。

萩焼の工程

1、菊練り
粘土の中の空気をしっかりと抜き、真空にし、粘土の成分を均一にします。土を回しながら練り、その後の形が菊の花の模様に似ていることから「菊練り」と呼ばれている。

2、成形(ろくろ)
ろくろや、手びねり、たたら成形など、手作業で丁寧に行う。

3、化粧がけ
異なった色の土を掛けて模様や色をつける化粧がけで、味のある風合いを生み出す。

4、乾燥
生地の水分がなくなるまで、十分に乾かします。
季節によっても違う乾燥時間。ゆっくりとまんべんなく乾かす。

5、素焼き
約800度の温度で約10時間。徐々に温度を上げて焼き上げる。

6、施釉
最終的な色合いをのせるため釉薬を掛ける。釉薬の濃度が一定になるように、撹拌しながらの作業となる。

7.本焼
萩焼は登り窯を使う。一番下にかまどがあり、ここに薪(アカマツ)をくべて焼いていく。1番下の部屋には燃料である薪を、そしてそこから上に向かって部屋が複数あり、各部屋に作品を置いていく。各部屋の下には熱を逃がす穴がたくさん開いていて、焼きながら効率よく熱が登っていくようになっている。釜は北を向いていて、北風を釜に取り込み、作品に冴を出していく。

萩焼作家 金子信彦氏

今回は、金子信彦氏に話を伺った。
金子氏は1951年5月26日に萩市で生まれた。実家の近くに窯元があったため、小さい頃から窯場が遊び場になっていたそうだ。
小学生のの時から工作や美術が好きで、夏休みの時に作った作品を持って学校帰りに歩いていた際、そのできに近所のおばさんが驚くほどだったそうだ。また、萩に生まれたことから吉田松陰のことを小さい頃から学んでいて、その松蔭先生の坐像をよく作っていたというエピソードも教えてくれた。ちなみに、苦手な教科は数学だそうだ。部活は剣道をしていたが、数学の先生が剣道部の部長だったこともあり、数学も剣道も厳しく指導されていたが、今ではその先生の自分に対する期待だったと思うと回顧していた。

そんな金子氏だが、父親が37歳で亡くなってしまった。自身でも新聞配達などをし、勉強などする余裕がなくなってしまったそうだ。そして、中学校の時に萩焼の仕事を始めることになる。
誰からも萩焼の作り方を教わっていなく師匠もいなかった金子氏は、色々な窯元に行き、色々な人にお願いして萩焼の作り方を教わったそうだ。
様々な努力と経験を積み重ねて今の技術をさらに高めようと精進している金子氏は、茶碗の高台にこだわりを持っている。よく茶碗を見るのに、ひっくり返して高台を見ている人がいる。その高台には作家の力がすべて表われるからと教えてくれた。高台の形はろくろでは、最後の一周の一瞬で決まる。その一瞬の切り取りに、作家の生き様があらわれそうだ。実際に最後の切り取る瞬間を見せてもらったが、気を集中させ、本当に心を込めて取り組まれている姿勢が伝わった。

飽くなき探究心と作品作り

金子氏は様々な展覧会で賞を獲得している。ただ、いくら賞をいただいても同じ作品や似た作品で再度展覧会に臨んだりはしない。同じ作品を作っていると、それは創作ではなく作業になってしまうのだ。
そして、必ず違う作品で展示会に臨まないと、金子氏の表現を拝借するのなら「自分の中での気持ちがぬるくなってしまう」のだそうだ。作品にはとにかくエネルギーを向けていく。色々なものに触れて自分でこのような物を作りたいという気持ちを作品にぶつけていくのだそう。そして、その作品が人々を感動させ、その結果として賞を獲得できると金子氏の気持ちの中でじんわりと達成感が広がるとのことだ。

萩焼のこれから

金子氏には息子さんが2人いる。長男は18〜19歳の頃に、金子氏の跡を継ぐと自ら言ってきたそうだ。そして、次男も他の窯元に修行をしに行き、同じく金子氏の跡を継いでいる。子供2人が跡を継いでいるが、技術的なアドバイスはするが、それ以外は全然言わないそうだ。それぞれの作風を大切にして、それぞれの長所を伸ばして欲しいが故の行動である。

その作家を認めてくれるのは、その作家が作った焼き物だけ。つまり、とにかく作品作りにエネルギーを向け、買ってくれた人が喜ぶ萩焼を作って欲しいと語ってくれた。

ちなみに息子2人の作風はそれぞれ異なるが、写真を見れば明らかだ。金子氏によると、息子2人の感性の方が今の時代にあっているので、この調子で色々な作品を残して欲しいとのこと。

金子氏は相手にしているのは土。作り手の思いは、土に表れて、その温もりなども作品に出てくるとのこと。
一つ一つが手作りだからこそ、作家の思いが作品には入っているということを教えてもらえた。

金子氏の作業場の壁には、自身で作られた萩焼のアートが埋め込まれていた。

萩焼窯元 千春楽城山
〒758-0057 萩市堀内31-15
Tel : 0983-44-5511
営業時間:8:00~17:00(萩焼体験最終受付16:00)
定休日:無休
HP:http://hagishi.com/search/detail.php?d=700003(萩市観光協会公式サイト)